※その1はこちら
大学卒業後、海外生活中
僕は大学を出た後に海外に行った。
行き先はオーストラリア。
これまた余談になるが、オーストラリアを選んだ理由は、ワーホリのビザが取りやすく、かつ英語で、旅費も比較的安いし、時差も少ない、という正直どうでも良い理由だ。
そもそも、なぜ海外に行ったか、だが、就職をしたいと思う就職先がなかったから、そして、就職をしない「無職」という肩書は当時のイメージとしてかなり悪く、その肩書を言われないために、海外に行くという、つまり消去法で決めたことだ。
オーストラリアは、当時日本ほどインターネットが進んでいなかった(気がする)。
前回の記事で書いたように、日本はブロードバンドが普及しつつあり、相乗効果で様々なサイトが立ち上がり始めていたと記憶しているが、オーストラリアは、言語の壁もあり、ナローバンド、つまり従量制で遅いインターネットだった。
そういう事情もあり、この頃にはまたCDライフに戻ることになる。
日本に比べCDは安かったし、働いて結構お金にも余裕があったので、CDを買いまくっていた。
買ったCDのなかで、海外で出来た友人が欲しいといったものは、何の迷いもなく複製してあげていた。
罪の意識?そんなものは少しもない。昔から複製はしていたからだ。複製先がテープ、MD、CDと変わっただけで、やってることは基本的には同じだ。
実はテープですら複製を自分以外の人に譲渡したり売ったりするのは違法だったが、それで問題になった人など聞いたことない。
まだ世の中をよく知らないこどもにとって、大人が当然のごとく行っていること、つまり音源複製がいけないこと、とどうして考えられよう。
兎にも角にも、海外ではCDライフを満喫した。
ちなみに、iTunesが知り渡り始めたのは確かこの頃ではなかっただろうか。
海外ということもあり、iTunesの世界に入っていくのは、僕の場合はもう少し後になる。
帰国後、社会人初期
帰国後は、得意の(当たり前だが)日本環境下でブロードバンド契約。
回線の種類も、ADSLからさらに光へ。つなぎ放題は当たり前、そのスピードを競う時代に突入していた。
そこで出てきたとんでもないサービスがYouTube。
これを最初に知った時の衝撃は、人生ベスト10に間違いなく入る。
言葉とおり、何でも「観られた」。
聞くだけではない、観ることができたのだ。
しかも、ほぼ無料といってよい。
現在は、この延長線上にあるといってよいだろう。
今は、音楽の入り口の媒体が、テレビ、ラジオを超えてYouTubeらしい。
当然だ。テレビ、ラジオも無料だが、自分が好きなときに、聴きたい音楽が流れるとは限らない。そもそも、テレビ、ラジオではほぼかかる見込みの無い曲も、YouTubeでは見つかることが多い。
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幼少期から、現在までの音楽との関わり方を見てきたが、まとめていうと、
・より便利になった
・より安くなった
(実は、これにプラスして、音質も上がったのだが、ここでは割愛)
便利になったとはどういうことか?
自分が好きなときに音楽を聞くために、テレビから流れてくる音楽を待ち、必死で録音し、テープがのびてしまうほど聴きまくった幼少期。
CDレンタル屋まで足をのばせば、数に限りがあるとはいえ、安価に録音音源を手に入れられた大学時代。
そして、自宅で、外出先で、いつでも好きな音楽を楽しめるようになった現代。
これを便利になったと言わずになんと言おう?
安くなったとは、どういうことか?
音源を購入しなくては、良い音質で音楽を楽しめなかった幼少期。
レンタル代と、媒体であるテープ、MD、CDRを買えば、高音質で音楽を楽しめた大学前後。
そして、購入すらせず、インターネット環境さえあれば、無料で音楽を楽しめる現代。
これを安くなったと言わずになんと言おう?
音楽が便利で安くなった結果、リスナーには公平に(つまりあまりお金がない人でも)音楽が行き届くようになったが、その逆であるミュージシャンは、お金を稼ぐことが困難になった。
リスナーがお金を払わず、誰がお金をミュージシャンに払ってくれる?
では、今後ミュージシャンはどこでお金を稼いでいくべきか?
今のミュージシャンと音楽業界には、その問いが突き付けられている。
お金を稼ぐテクニックやそのための知識はもちろん、冒頭にあった、ボランティア演奏を求めるのが当たり前という空気を変える「何か」がないと、これから音楽は日増しに無料化していく。ライブも、音源も。
人は、お金を使うより使わないほうが、常に幸せだろうか?
僕はそう思わない。
お金をつかってこそ得られる快感、幸せがあることをぼくらはもう知っているはずだ。
音楽という文化に対してそう思わせることができた人が、これからの音楽業界を先導していくだろう。
それが誰なのかはもちろんわからない。
その方法もわからない。
自分が生きているうちに、そういうミュージシャンが現れたら、、、そういう方法が見つかれば、と願うばかりである。