日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

人にもギターっぽい人とピアノっぽい人がいる

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ギターとピアノ、どちらも演奏する自分にとって、この二つの楽器の違いは面白い。

 

先に演奏できたのはピアノ。

幼少の頃から親に習わされて、物心ついた時には演奏できていた。

 

年をとるにつれて、ピアノという楽器の存在位置のようなものを把握できるようになり、その楽器の完成度を感じたものだ。

調律師が来て完璧にチューニングするし、音域も88鍵あるので、どんな高さの音も大抵は発音可能。さらに、両手10本の指を使うので、10音以内の音なら同時発音可能だし、別音を出すにしても、ゆっくりなフレーズから速いフレーズまで弾きやすい。

 

高校でギターに出会った。

出会った時、つまりまだ演奏できないがギターを生で見て知った時、ギターにできることはピアノに全部できる、と思った。しかし、逆は出来ない。

まず、ギターは演奏特性上、手の制約が強い(左手)。そして、弦が6本なので、同時発音は最大6。さらに、チューニングはペグを使って演奏者自らその場で「簡単に」してしまう。音域もピアノよりは狭い。

 

なんとなくギターを始めてしまって、面白くなってきた。

完成度ではこんなにも劣るギターという楽器が、何故か面白いのだ。

そこから数年は、ギターの面白さを感受しながら、なぜこんなにも面白いのかという疑問も持ち続けた。

 

今でも、一般的な答えがはっきりあるわけではないが、自分にとっての答えはある。

 

ギターは、不完全なところが魅力なのだ。

 

ある有名ギタリストの話。

ギターは、実は物理構造上、完璧にチューニングすることができない。開放弦でチューニングしても、ハイフレットで弾いたらずれたり、ということが厳密には起こっている。

このずれを最小限に抑えた「バズフェイトンチューニング」というものが開発され(今ではあまり聞かない)、バズフェイトンチューニング対応のチューナーと、対応のギターを用意すれば、そのずれを最小限に抑えることができるようになった。

 

ある有名ギタリストは、このシステムを普段つかうが、ブルースを演奏するときは、あえて通常のチューニングをするという。つまり、あえてずれている方を選択するということにほかならない。

その理由は、そのものズバリ、ずらすためだ。

ブルースというジャンルを演奏するにあたって、完璧にチューニングされた楽器は、完璧すぎて面白くない響きになる、ずれ(つまり不完全)が心に届く気がする、と言っていた。

 

チューニングには、正しい、間違いがある。

しかし、正しいもの「だけ」が人に響くのではない。間違ったもの「でないと」、心に届かないこともある。

 

このことは、自分が楽器から学んだ大きなことだ。

人にもたくさんのタイプがいる。

優等生的な、完璧な人もいれば、明らかに地味で偏屈な人もいるだろう。

楽器では正しい、間違いという表現になるが、人間においては、それは単なる違いでしか無い。

そして、不完全なギターが、ときにピアノを凌駕することがあるように、世間的には??の人が、時に人にとって大切な存在となりうることもある。

 

第一、人は基本的に不完全だ。

世界の演奏者の数、ピアニストよりも実はギタリストのほうが多いらしい。

その理由は様々であろうが、その一つには、ギターという「不完全」な楽器の方が、「不完全」な人間には調度よく馴染むのかもしれない。そして、不完全は完全を求める。だからピアノという楽器は素晴らしい。

 

どちらの楽器も、どちらのタイプの人間も、この世界は必要としているようだ。