僕は、自分のことを「個人主義」の人間と思っている。
しかし、世の中には、個人主義に対する批判も多いようだ。
自分の思う個人主義を述べてみようと思う。
浅学ゆえ、根本的な言葉の定義が間違っていたらごめんなさい。
まず個人主義とは、国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場(Wikipediaより引用)。自由主義と同義。
これを読んで反対意見がある人はいるだろうか?
国家も社会も個人が集まって初めて国家なり社会なりになるのだろうから、その単位である個人が、権利と自由を主張するのは当たり前な気がする。
集団主義とは、個人よりも集団に価値を置く思想、あるいは個人でよりも集団で行動することが多いさまを表した言葉(Wikipediaより引用)。
集団主義に関して、なぜそれを主張するのか僕には理解できない。
集団になって、思想を揃えてこそなし得ることがあり、それによって保たれる秩序がある、というのはなんとなく理解できる。
しかし、そう思う人が集まればそれでよいのではないだろうか?
集団主義を主張する人は、そう思わない人でさえ、それに従うべきだ、と言っている気がしてならない。
僕が疑問を抱いているのは、集団主義であって、集団になることを否定しているわけではない。
たとえば、「僕は個人主義です」と誰かにいうと、「自分もそうです」と賛同する人が表れるだろう。そして、お互いに個人主義の何が素晴らしく、でも欠点ももちろんあるよね、といった話をし、つるんだりするであろう。
つまり集団となるのである。
「つまり、集団主義になってるじゃん」
いやいや、そうではない。
集団にならなければならない、という強制がおかしいと思うのだ。
自然と集まることに何の抵抗もない。
集団主義主張は、歴史の結果をみてその主張を繰り広げているようにも見えるが、いやいやながら集まった集団が(良くも悪くも)大きな結果を残したとは到底思えない。
過去に集団になることで結果を残したケースは、集団に入る過程が立候補制度だったに違いない。つまり、主義主張が同じ、もしくは似ているので、ストレスなく一致団結できたのだ、、と思っているが、こんな統計はどこを調べたら出てくるのかわからないので、もちろん不確かな情報だ。
ブラック企業問題、縦社会の弊害、政党政治の限界など、集団主義が原因と思われる問題が多々あるので、個人主義の弊害を嘆く前に、集団主義の弊害を冷静に見つめていただきたいものだ。
集団主義のもたらした、最大の過ちは、間違いなく「戦争」であろう。
戦争容認、または致し方ない、という方は、それこそ個人主義の僕からすると、別の世界の人間ですね、サヨナラ、といったところだ。