就きたい職業につくことは難しいことだろうか?
皆さんは、小学生の時に、どんな職業につきたいか、覚えているだろうか?
僕は覚えている。確か、将来の夢、という作文を書いたからか、今でも鮮明に覚えている。それは宇宙飛行士。
本を読むのが好きで、読んだ本の中に、宇宙の記述があると、それだけでワクワクしていた。空を見上げると宇宙は見えるのに、そこに行けるのは限られた人、ということを聞いた時には、不思議とも、憧れとも違う特別な感情を抱いた気がする。
子供の頃の夢は、ピュアなものだ
自分の話はさておき、これを読んでいただいている方の中には、子供がいるという方も少なくないだろう。
そこで、今回は、
「親が自分の子供に就いてほしい職業と、子供がなりたい職業」
について考えてみる。
これは、2013年後半の統計。
余談だが、自分が小学生の頃の1位は野球選手だったような。
同じスポーツ選手だが、男子1位がサッカーに変わったのだけでも、時代が流れたのだな、と感じてしまう。
とはいえ、概ね同じようなランキング。
続いて、こちらが親が自分の子供に就いてほしい職業ランキング。
なかなかに違うランキングだ。
子供の夢には、ランキングに統一性がない。世の中のことをまだ良く知らない子どもたちは、なにはさておき憧れる職業に就きたい。そこに統一性など入り込む隙があろうか。
それに対し、親はどう思っているか。
ランキングを見ての通り、とにかく「安定」という言葉がちらつく。
親は子供に安定した収入を得て、幸せになってほしいのだ。
しかし、それは本当に子供の幸せにつながるのだろうか。
安定した収入を得ることは、なりたい職業につくことよりも幸せにつながる、という考え方は、どうも大人のエゴの匂いがする。極端に言えば、安定した収入を得て生活していくことが、幸せなことなのだ、という定義付けをしているようにも感じる。
確かに、不安定な職業は辛いことが多いだろう。経済的不安は、不幸になるための十分すぎる要素になり得るのは理解に易しい。
だから、
A
「なりたい職業にはつけたものの、経済的に安定せず、やっぱり安定した職業につけばよかったな」
と後悔する人もいるだろう。
しかし、
B
「安定はしているけど、やっぱり憧れの職業につきたかったな」
という後悔をする人もいるだろう。
さて、このAとBには決定的な差がある。
それは、誰が考えた決断で今の職業についているのか、だ。
もちろん、どちらも最終的には自分で決めたであろう。日本は、どこかの国のように、自分のつく職業を国から強制されるような国家ではないので、最終決定は自分だったはずだ。
しかし、その決断の最終的な根拠はなんだろう?
A:自分がなりたいから!
B:安定しているらしいから。
どちらの人間が、人として魅力があるだろうか。
自分の幸せは、自分で定義するもの。
親と言えども、いや親だからこそ、子供が願った幸せのカタチを応援するべきではなかろうか。
親の幸せは、親がつかみ取れば良い。子供にそれを投影するのは、時として不幸を招くこともあるだろう。
就きたい職業につくことは難しいことだろうか?
難しいかもしれない。それは、幸せの定義を押し付ける大人がいる限り。
簡単かもしれない。なぜなら、やりたいことをとことんやりぬくだけでよいのだから。