哲学が趣味という人はあまりいないだろう。
哲学といえば、大学あたりで一般教養で習うだけと言う人がほとんどで、大学にすら言ってない人にとっては、好きかどうか以前に、何のことかわからないが小難しいことを考える学問、というイメージではないだろうか。
先日、この本を読んだ。
子供が大人に尋ねそうな、素朴な疑問(例えば、「死んだらどうなるの」や「神様っているのかなぁ」など)に哲学者が答えるというもので、最近読んだ本の中では相当面白かった。
そのなかで、
「哲学者って、何をする人なの?」
という質問がある。
これに対する答えの中に、非常に面白い内容を発見した。
「ドーナツが回っている時に、穴も回っていると思う?」
という質問をすると、その人が哲学者タイプなのかどうかがわかる、というのだ。
ここで面白いのは、質問の「答え」によってわかるのではなく、質問に向き合うかどうか、という切り口だということ。
これを読んでいる人の中にも、「そんなのどうでもよくない?」「何か役に立つの?」「何かの心理テスト?」と思った方もいるに違いない。
この筆者のいうところでは、この質問に対して、真剣に、穴も回っているのか、はたまた回っていないのか、を考えて答えを出そうとする人が哲学者タイプだということだ。
答えに正解はない。
そして、自分はどうかというと、結構真剣に考えた、、
なるほど、自分は役に立ちそうもないことでも、それに対して考えるのが楽しいし好きだな、と改めて思う。だとすると、自分は哲学者タイプなのだろう。
(このブログの内容も、正直考えても役に立たないことばかりだ)
自分の仕事は音楽だ。
音楽は何かの役に立つのだろうか?
これは音楽を仕事にしてから、頭の隅にずっとあった疑問だ。
しかし、すこしだけすっきりした。
哲学と同じように、役に立つかどうかと、存在意義は関係ないからだ。
役に立つかどうか、ではなく、すでに存在しているという事実が淡々とある。
役に立つかどうかを考えなくてもやり続けて良いのが音楽であり、魅力の一つにもなっているのだろう。
音楽をやり続けることの意味を考え始めた時に、哲学のことを考えてみてはどうだろう。
ほとんどの人が一生疑問を抱かないことを、真剣に学問として取り組んでいる人たちが結構たくさんいるならば、直接的に誰かの役に立っていない音楽だとしても、やり続ける「意味」はあると思えるのではないだろうか。
もっとも、、、
役に立たないがばかりか、逆になにかしらの「マイナス」を生むことになる(それは例えば金銭的なことなど)としたら、考えものなのも事実だ。