日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

役に立たないことに身を投じるのは、人間らしさです

「シェリルの誕生日」論理の問題

 

ネット上で結構有名になった問題らしいですね。

対象は小学生らしいので、高度な数学の知識等は不要で、あくまで論理問題です。

面白い問題ですね。

 

私は残念ながら解けませんでした。

この問題はとても有名故に、数々のサイトで紹介と解説がなされています。

知恵袋みたいなサイトにも質問と答えが掲載されていますが、最初に私が見たサイトは、なんと問題文に重大なミスがあり、結果解けるはずがない問題になっていました。

こういう問題を掲載する際は気をつけてほしいものです。

 

ただ、正しい問題を見ていたら解けていたか、と言われると全く自身はありません。

 

 

学校で習うことは、社会に出て役に立つのか?という批判的な意見を持って教育を嘆く人がいます。

初等教育を超えたレベルのものは、たしかに社会に出て役に立つと明確に言えるものは少ないでしょう。

鶴亀算も漢文も化学式も、ほとんどの社会人にとっては不要かもしれません。

 

しかし、です。じゃあプロのアスリートにならない限り運動も不要なのでしょうか。

ミュージシャンにならない限り音楽も不要ですか。

 

日本は今決して経済的にうまくいっているとは言えませんが、それでも明日食べるのに困るほど大変な状況でもありません。

平たく言えば、先進国ですね。

先進国では、「生きていく以外」の事に時間やお金、労力を注ぐことができます。

新興国ではそうはいきませんよね。生きていくだけで精一杯です。

 

生きていく以外の事に時間、お金、労力をかけられるのって幸せなことだと思います。

動物保護団体から怒られそうですが、生物として「無駄」ということを一切しないのがヒト以外で、それを好んでするのがヒトです。

つまり、ヒトらしさは無駄に幸せを感じることにもつながっているのです。

 

大人はよく、「人として」や「人間らしく」という言葉を使いますが、結局それは逆に言えば、他の動物との差異を美化しているということですよね。

 

話を戻します。

この論理問題や学校教育で行われる学習内容を、将来役に立つかどうかという切り口で判断するのは誤っています。

人として、なんかおもしろそう、で良いのではないでしょうか。

上にも書きましたが、私が音楽で生きている以上、なんかおもしろそうなことに身を投じる事を否定されると、自分の居場所がなくなっちゃいます。

 

 

この問題に関するどこかのサイトにも書いてありましたが、この問題を早く正確に解けることよりも、この問題を作ることの方が圧倒的に難しいし面白い。

それですら、社会の役に立つかどうかはわかりませんが。

 

できれば作る側の人間になりたいと思いますが、解けなかった私には到底ムリっぽいですね・・・

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

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