日本での年間の交通事故者数は約4000人。
つまり、一日あたり10人くらいのペースで事故による死者が出ている計算になる。
このブロクの読者の中にも、交通事故を起こしたことがある人は少なくないのではないだろうか。
今回は、交通事故を起こした様々ケースの中で、明らかに自分が悪く無い時のことを考える。
交通事故を起こした際の損害負担金割合
大抵の運転手は、交通事故に備えて保険に加入している。
交通事故を起こした場合は、まず警察に届けて事故処理をしてもらった後に、双方の保険会社に連絡する。
そこで、事故の状況を判断して、事故によって発生した損害金の割合が決まる。
この時に、10:0となることはあまりない。
上記のようになるのは、片方が完全に停止した状態且つ、停止していた場所にも全く問題ない場合のみで、逆に少しでも動いていると、最低1割は負担になる。
ここで、自分が悪くないと主張している人は大抵激怒し、保険屋、その他と揉めることになる。
交通事故が一番面倒なのはこの辺で、考えただけでもうんざりする。
悪くないのに負担する理由を考える
自分は全く悪くないのに、なぜ損害金の一部を負担しなくてはいけないのか。
それは、車に乗って運転しているというだけで、その可能性を受け入れているからだ。
少なくとも自分はそう考えている。
車は便利だ。それに楽しい。
基本的にはどこにでもいけるし、雨にも濡れないし、音楽も聞ける。
荷物も積めるし、友達や家族とのドライブでは、会話も弾む。
反面、車は「走る凶器」という表現を使われるが、まさしくその通りだ。
自動車学校では、車が引き起こす悲惨な交通事故の写真を何度も見せられるはずだ。
たった一度の交通事故で、加害者という立場になり人生が変わってしまった人も多くいる。
好きで交通事故を起こす人はいない。
しかし、交通事故の数は、人間が運転する以上、0には成り得ないだろう。
ということは、どれだけ安全運転を心がけても事故をおこす可能性とおこされる可能性はあるということだ。
つまり、車を運転するということは、そのリスクを背負っても、その便利さを味わいたいという意思表示と同じことになる。
車の便利さに対する代償はいかほど?
考えてみれば、車の便利さを味わうために払う代償は少なくない。
まず運転免許取得に時間とお金がかかる。(日本の免許取得にかかる費用は、ダントツで世界一だ)
車の金額も安くない。ほとんどの人にとって、一生で購入するものの中で、高価なモノの上位五番以内には入っているはずだ。
購入した後も維持費がかかる。
駐車場代、燃料費、保険、車検、税金。
これらは、避けられない出費だ。
これにもまして、年間約4000人の死者が出る運転をするという、大きなリスクを背負わなければならない。
車がないと生きていけない、なんて人はほとんどいない
自分が悪くないと思う事故で損害負担金を背負うことに不平があるのならば、そもそも車にのるべきではない。
車がないと絶対に生きていけない人など、ほぼいないはずだ。
あるデータによると、車で行くべきところに全てタクシーを使っても、実は車を所有するよりも安いという可能性あるらしい。
状況にもよると思うが、本当にリスクを背負いたくないのならば、車は持つべきではない。
逆に、車を運転するということは、どれだけ自分が悪く無いと思う事故を引き起こしても、それを受け入れる覚悟をもっている、とみなされる。
つまり「自己責任」ということだ。