日本は先進国なので、価値観も多様化し、生き方も基本的には自由だ。
生物的には特に必要としない「音楽」というものを目指すことも、この国では許されている。
豊かな国である証拠であろう。
さて、どんな分野も、それに取り組むのは自由だが、気にするかどうかは別にして、やはり能力差というものが生じるだろう。
そして、やるからには能力を高めたいというのも、ごく普通の感情ではないだろうか。
しかし、高めていった能力がどのくらいになると、自分で誇ることができるかはひとそれぞれだ。
自分の能力の評価
勝手な自分の印象だが、自分の周りで何かに取り組んでいる人は、自分の能力を過小評価している人の方が多い印象を受ける。
小学生の頃に、先生から「なんでもいいから1番になれるものをみつけなさい」と言われたことがある人もいると思うが、どんな分野だって、そんなに簡単に1番になんかなれない。
世界一はもちろん、日本一だって、自分の住んでいる都道府県内で一番だって、なんなら自分の住んでいる市区町村で一番だって、なかなかになれないものだ。
せいぜい、学校のクラスの中で一番くらいではないだろうか。
それを言っていた先生は、なにかで1番なのだろうか。
しかし、一番でなくたって、充分に誇って良いレベルのこともある。
ここで例に出したいのが東大だ。
東京大学の学生数
東京大学といえば、学問の分野で日本一の大学だ。
世界的にみてもそのレベル非常に高い。
この東京大学の平成27年度生の数は、なんと6000人以上だ。
在籍生全体だと14000人弱いる。
学問の分野で能力が高い人は、この他にも京都大学や早稲田、慶応などにも行くので、その在籍数を全部足すと、相当な人数になる。
つまり、単純に考えれば、同じ世代の中で、国内のトップ14000位あたりに入っていれば、それはその分野で東大に行くのと同じくらいの難関をクリアしているということだ。
学問でなくても、とりあえず14000位以内あたりなら、誇りに思おう
学歴社会に対する批判も多いが、それでも出身大学が「東京大学です」と聞くと、「すごーい」という反応になることは、まだまだ多いようだ。
しかし、学問の分野でなくても、国内14000位以内に入っているくらいの能力を持っていれば、それは堂々と自慢して良いはずだし、分野の違いに優劣はない。
分野の優劣はない
細かいことを言えば、分母、つまり何人中の14000位なのかということで、その順位の質は大きく変わる。
しかし、言いたいのはそういうことではなく、どんな分野であっても、上位のほうにいるのは素晴らしいということだ。
それはたとえ1番でなくても、充分に素晴らしい。
例えば音楽ならば、自分のアマチュアバンドで毎年ワンマンライブをし、毎年500人以上集客できたら、それは相当に誇って良い。
毎年500人集客できるバンドはいるにはいるが、そう多くはいない。
しっかりとした統計は出せないが、それは東大に入るのと同じくらい難しいはずだ。
だとすれば、東大に入る人と同じくらいの賞賛を浴びてもおかしくないのだ。
※ちなみに、事業仕分けで有名になったが、国として1番をめざすのは当たり前だ