このブログでは、何度も書いてきた気合、忍耐、根性論の無意味さを後押しするニュースがまた一つ見つかった。
しかし、正直なところこれには自分自身も驚いた。
早起きができない人を非難してきた自分に反省
自分自身は、早起きするのは何の苦でもない。
むしろ、遅くまで寝るほうが嫌だ。時間を無駄に使っている気がして、焦燥感を覚える。
それに、朝起きてからの数時間は集中力のゴールデンタイムらしいが、それを実感しているので、朝起きて、且つ家族が活動を始める前に様々なことを済ませてしまう。
そういう自分にとっては、朝起きられない人は意識が低いという認識だった。
起きるのに技術なんかいらない。
ただ起きる時間を早めるだけだ。
だから、本人の意識の問題だと思っていた。
しかし、この記事によると、DNAレベルで違いがあるということだ。
これまで、早起きができない人は意識が低いだけだ、と非難してきたことに反省している。
科学は社会の救世主
やはり科学の知識や力は素晴らしいと思う。
自分自身も持っていた偏見を払拭することができた。
このように科学の力で偏見が払拭された例は、他にも多々あるだろう。
社会、国として、それが科学的に解明されたからといって、そのシステムがすぐに変わるわけではないだろう。
例えば、朝型、夜型がわかった今、朝の遅刻に対するペナルティーを課すことを企業に禁止する、なんていうことはできそうもない。
しかし、別の例で言えば、性同一性障害という障害が科学的(医学的)に証明され、認知度が高まったことにより、幾つかの自治体では、同性であってもパートナーとみなせるという条例を制定したのは記憶にあたらしい。
少しずつだが、ちゃんと社会は「前」に進んでいる。
勉強、学習の必要性をしっかりと認識すること
世の中は偏見や差別に満ち溢れている。残念ながら。
そして、おそらくそれを完全になくすことはできないだろう。
だとしても、減らすことはできるかもしれない。
その一つの方法として、科学の力は非常に有効だ。
科学を学ぶ理由はたくさんある。
しかし、とても大雑把に、しかしシンプルにその理由を言えば、それは人類の幸せのためにほかならない。
人は感情の生き物だ。放っておけば、偏見、差別が蔓延することは歴史からどれだけでも学べる。
しかし、それを歴史から学び、より良い世の中にしていくためには、創造的破壊に立脚した学習が必要だ。
史実から学ぶことができるから、歴史は学習する必要がある。
同様に、今感じている偏見、差別を少しでも減らすために、科学は学習する必要がある。
教育に携わる人達であれば、ぜひそれを強く強く感じていていほしい。