日本では、手続きの際に何かと印鑑を要求される。
いきなり話がそれるが、印鑑とハンコというのは厳密に言えば違うらしく、ハンコが物理的な棒状の「物」を指すのに対し、印鑑は、ハンコをおした時の印影のことを指すらしい。
あるサイトでは、「印鑑をおす」という表現は上記に照らし合わせて間違っているので、社会人として恥ずかしい、と書いてあったが、その表現に対して恥ずかしいと思う人がどのくらいいるのか甚だ疑問だ。
印鑑は安全性が高いのか
さて、印鑑もサインも、何か(多くは本人)の証明のために使うものだが、証明のために使うということは、複製ができない、または限りなく難しくないといけない、ということが前提になる。
印鑑はこれを満たしているのかと言えば、正直怪しいのではないだろうか。
今や100円ショップにも認印が大量に売ってあり、実は同じ文字のハンコでも、微妙に違いをつけているらしいが、販売額100円でどこまで実現できているのだろうか。
そういえば海外に住んでいたときは、ハンコは全く持っていなかったが、特に困ったことはない。
日本での生活と同じように、銀行口座も作ったし、役所手続きも何度かやったが、すべてサインで済んだ。
ネットで少しだけ情報を集めただけだが、サインの筆跡鑑定は、文字だけでなく筆圧まで割り出せるらしい。
かつ、サインだけでできることというのは限られていて、それ以外にも証明書等を要求されセキュリティー強度を高めているとのこと。
印鑑に比べて安全性が劣るということはないそうだ。
寧ろ、3Dプリンターのようなものが普及し始めた現代ならば、ハンコの複製の方が簡単なのではないだろうか。
(さすがに3Dプリンターですぐにできるわけではないだろうが)
それに、ハンコは単純に「モノ」なので、盗まれたり紛失したりということが起こりえる。
サインは、物質ではないので、物質的盗難はない。
また、手を怪我して書きにくくなった、書けなくなったということもありえるだろうが、それほどの怪我をするのはハンコの紛失よりは確率が低そうに思う。
印鑑からサインへの移行を望む
従って、日本も印鑑からサインに移行していってもらえないだろうか。
実際、近年役所での手続きでは、本人の場合に限り印鑑不要ということも多くなってきた。
確か、昔は本人であっても印鑑必須のものが多く、持っていくのを忘れて取りに帰ったり後日に改めたりした記憶もある。
いきなり変えるのは難しいと思うので、徐々にでも良いと思う。
最初は選択性、つまりサインか印鑑か選べるようにしていき、サインを使用した場合の偽造件数が、印鑑のそれと比べてどのくらいあるのか、を分析していけば良いと思う。
サインに移行しない理由は?
新たなシステムを導入「しない」理由が明確にあるのならば良いのだが、デメリットよりもメリットのほうが多いシステムに関しては、次々に導入を検討して欲しいと思う。
民間は、このリンクのように導入にこぎつけているから、可能なはずだ。
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理由は簡単で、便利だからだ。