日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

1年前を振り返ったらわかること

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自分に課題を課して、上達を試みたり、何かを成し遂げたりする行為はすばらしいことだと思う。
しかし、本当に上達に向かっているのか、はたまた成し遂げるところに近づいているのかは、時々振り返ってみないとわからないこともある。
上達や成功がないと、それは意味が無い、とまでは言わないが、少しもったいないと思う。
 
そういうときは、1年前のことを振り返ってみると良い。
1年前のことなんて普通は覚えていないので、1年後の為に今から課題の記録を始めたら良いと思う。
自分の場合はEvernoteを活用しているが、その方法は各々の得意な方法で良いだろう。

 

何でも習う人 

 

先日ある人と1年振りくらいに電話で話した。
好奇心が豊かな人で、いろいろなことに興味がある。
それはとても良いことだとおもうのだが、よくないと感じるのは、全てが中途半端になっていること。
音楽が好きということで、作曲、DTM、ギター、歌を習っている。
英語に興味があるので、海外に1年くらい滞在した経験があるにも関わらず、現在でも英会話を習っている。
自分が知っているのはここまでくらいだが、おそらく他にもありそうだ。
 
この人の特徴は、とにかくなんでも習いたがること。
上記全てを人に習っている。
 
自分の専門は音楽なので、例えば上記中音楽に関して言及すると、作曲、DTM、ギター、歌を一度に並行して習う、というのは、正直かなり能率が悪い。
ポイントは、習うというところ。
これらを並行してやっている人ならばたくさんいる。
この場合、習っているのと違い、自分で自分の課題を作らなくてはいけなくなる。
 
どういうことか。
例えば作曲「だけ」を習うとする。
作曲した曲のイメージの中に、ギターが入っていたら、まず自分で弾いてみたいと思うものだ。
そこで、自分の作ったイメージに近いギターを練習する。
これは、教則本に載っているような単なる練習とは違い、自分のイメージを追いかける行為なので、非常に効果的だ。
DTMもしかり。
作った曲をコンピュータに入力していく作業は、自分の曲をデータ化するというきちんとした目標値があるので、一般化されたマニュアルよりもずっと実践に近いものになる。
 
歌はその最たるもので、ほとんどの人は自分の歌の録音音源を聞くと自分の声に驚くが、それを超えて初めて歌のコントロールや自己分析ができるようになる。
そのために、自分の曲を自分で歌ってみる行為が最も適しているのは言うまでもない。
 
電話で、最近音楽の方はどうか、と聞くと、
「今、改めて基礎からみっちりやっています」
とのこと。
 
本人は覚えていないと思うが、この人と出会った5年位前も、同じことを言っていた。
つまり、結局のところ伸びていないのだ。
 
ちなみに、音楽に関しては、この人はプロ志向。
 

習う人が陥りやすい罠

 
何かを習って長い人に、上達しているかどうかを聞くと、大抵の場合「上達はしている」と答える。
確かに上達していることは多い。
しかし、その分時間が過ぎているので、上達するのは当然なのだ。
習いに行くということは、習いに行ってない場合と比較してどのくらい差があるか、そしてそれは支払った金額に見合うものかどうか、という見方をしないといけない。
 
ところが、習いに行ったほうが伸びが鈍化する、ということも多々あるのだ。
それは、実践よりもマニュアルや座学を重視してしまいがちになることに起因する。
そもそも、自分で考える事が減ってしまう。
 
何かを習うのが良くないとは思わない。
しかし、それが本当に功を奏しているがどうかは、感情ではなく冷静に判断すべきだ。
そのためには、やはり記録がモノを言うだろう。