芸人同士の話の内容が、ちょっとした話題になっている。
簡潔にまとめると、なかずとばずの芸人が辞めるかどうかを考える時に、辞めても就職できずに不幸、続けても売れないので不幸、それなら後者のほうが慣れている分マシ、という内容。
それを一文にまとめて「夢のない不幸より夢のある不幸」と表現している。
文章としては、格言のようでよく出来ていると思うし、そのとおりだと思うが、そこにいきつく「不幸」の理由に少し突っ込みたい。
この言葉の「夢のない不幸」というところ。
なぜ芸人をやめたら夢のない不幸なのか。
それは、良い待遇のところに就職が出来ない、ということらしい。
しかし、本当にそうなのだろうか。
ここでの話は、そこまで深く考えていないものだと思うが、一般的にも同じようなことを思っているひとは多いと思う。
芸人というのも、立派な就職だ。
事務所に属さなかったり、自分で個人事務所を立ち上げたりすれば別だろうか、売れていない芸人でそういう人はめったにいないだろう。
つまり、事務所に就職しているということになる。
つまり、芸人になるために事務所に属するという行為と、いわゆる普通の会社にサラリーマンとして働く、というのは、基本的には同じことだ。
なぜ芸人になったのか。
その理由は、ミュージシャンと同じように、ただただそれが好きだからだと思う。
好きなことで有名になりお金を稼ぐ、という夢だ。素晴らしい。
しかし、好きだからといって才能があるとも限らないし、才能があっても売れないこともある。
現実は厳しい。
結果、その道を断念することになったとして、できるかどうかとは別に、次の「就職」はどういったものを選ぶべきか。
当然、2番目に好きなことだ。
ところで、サラリーマンの働いている内容は、自分が人生でもっともしたいことから何番目のことなのだろうか。
もしかしたら、したくないことから数えた方が早い人もいるかもしれない。
また、戦力外通告を受けた野球選手が、飲食店をたち上げて成功したり、警察官になったりという話もある。
その人達は、不幸なのだろうか。
「夢のない不幸より夢のある不幸」
確かに、そのとおりだ。
しかし、夢のある不幸は、なにもその職業を続けるだけでなく、少しでも好きなことでお金を稼ぐために苦労する不幸だってある。
1番でなくても、2番目に好きなことができる仕事を探す行為は、それはそれでモチベーションを高く保てるだろう。
普通の就職=夢のない就職、というのは、就職という言葉の捉え方がいささか偏りすぎていると思う。
好きだけど売れなくて、だから2番目に好きなことが出来るように人生設計をしなおす。もちろん、簡単には就職できない。
しかしこれは、充分に幸福な人生ではないだろうか。