才能という言葉は、どんな分野にでもあると思う。
ここでいう才能は、生まれつき持った能力のことを指している。
全ての人の顔が違い、身長が違い、運動神経が違い、成績が違う。
目に見えるものはわかりやすいが、芸術分野など中でも、目に見えないもの、カタチにならないものは、その才能自体や、人との差を把握することが比較的難しい。
しかし、必ず差がある。
ある分野だけ、全ての人間は同じ能力というのは考えられない。
没頭が才能を見つける鍵
交通機関の発達やインターネットの普及で、価値観が多様化したこの時代は、多様化したからこそ色々なことを試す価値がある。
東京大学に合格するほど学業の成績が良かったり、オリンピックに選考されるほど運動神経が良かったりすれば、誰の目から見てもその方面に才能があるとわかるが、それは殆どの人が学校で学問やスポーツに触れる機会があるからだ。
ではテレビゲームはどうか。
テレビゲームに自分の才能を見出すのは、上述した学問やスポーツに比べて難しい。
なぜなら、ゲームを害悪と決めつけている大人から、一日中ゲームをしていたら怒られるからだ。
これが一日中勉強したり、運動したりといった行為なら、さほど怒られない。
だから、自分の才能を見出す為には、周りに流されずに、真剣に自分自身に向きあうことが最も重要だと考える。
そのきっかけは、昨日も投稿した「没頭」だ。
暇さえあればやりたいことは何か。
周りに何も文句を言われなかったとしたら一番やりたいことは何か。
これとひたすら向き合うことが必要だ。
例えば上述したゲーム。
世界のトップゲーマーの一人に、梅原大吾氏がいる。
そんなに詳しくないが、ゲームをし続ける中で、周りにそれを咎められて悩んだ時期もあるだろう。
それを乗り越えて、世界トップゲーマーとなった。
小学校の頃に、先生が「誰にも負けないものを何でも良いから一つ作りましょう」と言っていたのを覚えている。
そこでゲームを選択した生徒をしっかり応援できる先生はどのくらいいるのだろう。
勉強やスポーツならば、割とすんなりいくにも関わらず、だ。
周りはいつも都合が良いもの
だとすれば、自分自身に向き合うしかない。
周りがどう言おうと、暇さえあればこれがしたい、というものをとことんやる「だけ」でよいと思う。
結果が出るまでは、「そんなこと言ってたら、社会で生きていけない」と周りはいうかもしれない。
しかし、これだけ社会が変わっていく中で、社会で生きていけるかどうかを明確に判断出来る人なんていないはずだ。
そして結果が出ると、ただ没頭してやっていた過去を「努力」や「根性」という言葉で斜めから美化する。
結果、なぜか「嫌なことでも」努力すれば叶う、なんていう不思議な言葉が生まれる。
世界のトップにいる人は、例外なくその分野のことが「好き」な人だ。
没頭するものが見つかれば、自分に素直に没頭すれば良い。
そのためには、学校にすら行かなくても良い、とすら思う。