日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

育児は大変でないといけないのか

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少子高齢化が日本の大きな問題になっている。
 
単純に考えて、支える方よりも支えられる方がかなり上回るのだから、問題でないわけはない。
ところが、そんなことを嘆く暇もないので、若い世代は、共働きしならが、節約しながら、もし年金がもらえなくてもどうかにするしかない、という状況で日々を送っている。
 
そんな今でこそ、結婚しない、結婚しなくても子どもを産まないという選択をする人も増え、少子高齢化を抱える日本としては見過ごせない問題ではあるものの、それは個人の選択の自由、という捉え方をされるようになった。
 
逆に言えば、今の60代くらいの夫婦は子どもを産むのが当たり前の世代で、従って大半が育児の経験がある世代ということになる。
 
もちろん、当時は男女雇用機会均等法なんてない時代なので、男親の育児参加は相当低かっただろう。
(ちなみに、現在でも日本の父親の育児に割く時間は、先進国中最低レベルだ)
 
そういった側面では、当時の育児は大変だったに違いない。
 
男女不平等だけでなく、おむつは布だし、ネットがないからわからないことがあってもすぐに調べられないし、ベビーカーも今のものほど質は良くなかった。
今になって時代背景や企業の商品開発、テクノロジーの進化で、育児負担が軽減された部分は相当ある。
 
しかし、だ。
すべてが楽になったわけではない。
 
育児はひたすらお金がかかるので、世の中の経済状況が非常に重要だ。
現在の60代くらいは、バブルが弾ける前に子育てを終えている。
 
つまり、父親は終身雇用が当たり前、給料も年々あがるし、ボーナスも当然出るので、父親の稼ぎだけで、平均的な一家が生活していける時代だ。
母親は、少なくとも今よりは育児に専念できる時間とお金の環境が整っていたはずだ。
 
こういったことを無視して、今の若者に育児がなんたるかを語る60代以上の経験論からくるアドバイスは、ほとんどが役に立たない。
 
育児は大変なのが当たり前だから、育児ノイローゼになったら、その本人のメンタル力が親として失格だ、というトンデモないことをいう人もいる。
 
電車でベビーカーを広げているだけで、大変でもベビーカーをたたんで、他の人の迷惑にならないようにしろ、と若い母親に注意する人もいる。
 
こういった思考の裏には、自分たちも大変だったのだから、楽しようとするな、という考えがある。
または、自分たちの方が大変だった、というエゴだ。
 
つまり、育児は大変でないといけない、という非論理的な考えがある。
 
社会は、すべての人が幸せにくらしていけることを目指すべきだ。
すべての人の中には、メンタルが弱い人も、経済的に苦しい人も当然含まれる。
 
その為に企業は商品開発をし、昔よりも質の良い、便利な育児グッズを世に提供してきた。
 
つまり、楽したいという言葉は、言い換えると負担軽減であって、悪いこと何一つない。
 
そもそも、今の60代以上の世代に、現在の不況のなかで子どもを生むことがどれだけ大変かを理解できている人はどれだけいるのだろうか。
多分ほとんどができていない。
 
だから強要しないでほしいのだ。
 
理解できないのは仕方ない、
それは、今の若い親が、昔ならではの大変さを理解できないことと同じだ。
想像しかできない。
 
問題は、育児は大変でないとだめ、という思想。
違う。育児だって楽しんでできたら、そのほうが良いに決まっている。
 
実際に子育てをすると、楽しんで出来るほどあまいものではない。
しかし、少しでも楽しんで育児をしようと工夫することに何の問題があるのか。
 
家で育児だけに時間を費やしていて息が詰まるので、少々面倒でも外に出て気晴らし、その中で電車に乗ったら、ベビーカーをたため、と言われる。
 
こんなことを言っていたら、少子高齢化どころではなく、本当に子どもを産みたいと思う人がいなくなってしまう。
 
経済は生き物なので、一概に誰かのせいにはできない。
しかし、社会の空気は結局個人の考え方や行動の総体で決まる。
少子高齢化が本当に問題ならば、子どもを生みやすい社会的な構造に変えていくのはもちろんだが、同時に人の意識も変えていく必要がある。
 
育児は大変でないといけない、といったことを言っているうちは、少子高齢化の問題はまず解決しない。