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144カ国中111位とは、どう贔屓目に見てもほめられた順位ではない。
今回の指標になったのは経済活動への参加と機会、政治への参加、教育、健康と生存率の4分野だが、これらは独立しているわけではなく、互いに影響しあっていると考えるべきだろう。
経済活動への参加と機会は、つまり仕事に関してだが、企業の幹部の顔ぶれは、いまだにほとんどが男性。
それを変えようと政治に訴えても、国会議員すらほとんど男性。
そんな社会、大人と見て子どもは育つ(教育)ので、どうしても男性優位社会継承の連鎖が断ち切れない。
4分野の中で男女の差をあまり感じないのは、健康と生存率だけだ。
逆に考えれば、何かがきっかけで歯車がうまく回り始め、改善に向かうのかもしれない。
そのときに重要となるのは、やはり世論だろう。
平等を求めすぎても無意味
はっきりいってしまうが、男女は平等ではない。
そもそも女性の方は力が弱い。
男性より女性の方が力が弱いことを、女性の努力不足だと言う意見があったら、笑いのネタにはなるかもしれないが、前向きな議論は到底できない。
出産ができるかどうかも違う。
体のかたちもあきらかに違うし、専門家ではないので詳しくはないが、恐らく脳も違いがあるだろう。
これだけ違うものを、無理やり「平等」と訴え続けることは、男女の格差是正に役立つことはまったくない。
発想としては、平等ではなく公平という方が現実的だ。
男女の違いに限らないが、先天的なもの、不可抗力なことで生じる違いを社会として受け入れ、同じ機会を与えることが、自分の考える公平だ。
会社で女性が出世しにくいのは、結婚や出産によって退職・休職する可能性が高いから、という話を聞く。
能力差があって、出世に違いが出るのは致し方ないものの、女性として生まれ、結婚や出産するのはある意味当然の権利なのにもかかわらず、それによって待遇を変えるのは、成熟した社会国家の中にある企業で行われることとは思えない。
それをも受け入れる器をもって会社を運営していくことが経営陣の考えることだし、そういうものだ、と受け入れるのが社員の意識としてあるべき姿だ。
しかし、かといって「女性らしく」という言葉を使っただけで騒いでいるようでは、解決に向かうどころか、問題の焦点がぼやけるだけだ。
差別から区別。
平等から公平。
似て非なるこれらのことを個人レベルできちんと意識するところからまず始めることが大切だろう。