嫁姑問題は、身近にある最も解決が難しい問題だろう。
(逆に言えば、これすら解決しないのだから、世界から戦争をなくすのは気が遠くなる)
なんとなく日本特有の問題の雰囲気が漂うが、実はどこに国も抱えている問題の一つになっているそうだ。
なぜこの問題が起こるのか。
これを自分が解決できたら、ノーベル賞もの(平和賞?)だが、そんなことは到底できない。
そもそも、嫁の主張と姑の主張に関して、どちらが正しい、間違っているがはっきりしないので、解決するはずもないのだ。
では、問題が起こることを前提として、どう改善していくかを考えていくしかない。
これは、理屈上最も簡単な解決方法がある。
それは、問題が起こらない距離を保つこと。
問題自体が起こらないようにする
「嫁と姑の距離は70Kmがちょうどよい」という文章をどこかで読んだ事がある。
実際の距離で言えば、車で1~2時間くらい。
行けない距離ではないものの、高い頻度で行く距離ではない。
この文章でいう70Kmというのは、上記した実際の距離も去ることながら、おそらく概念をも表しているのではないだろうか。
簡単に言えば、ちょうどよい距離だ。
そして、これが自分の思う唯一の解決方法だと思う。
繰り返すが、嫁姑の間になぜバトル(あるいは一方的ないじめ)が勃発するのかというメカニズムはわからない。
だから、そこに距離を作る。
しかし、距離をとりすぎると、距離をとっているという状況に対する不満がバトル勃発の要因になりかねない。
そこで、ちょうどよい距離だ。
上記したところの70Km。
問題解決役は1人しかいない
では、この距離をコントロールするのは誰か。
これも、理屈上決まっている。
姑の息子、且つ嫁の旦那である男だ。
なぜ、この男なのかは自明だろう。
嫁、姑の間に公正に立てる唯一の人間だからだ。
実際のところは、距離を適切に調整しても、問題は起こり得る。
そんなときの解決役も、間違いなく男だ。
第一、世の中に嫁姑問題が多くあることは男も必ず知っているはずで、それに直面したとき、または直面する可能性がある男が、アンテナを張っていなかったり、そのことを考えていなかったりする事自体が罪深い。
当事者たちで解決するべき、という意見は現実を見てなさすぎる。
その解決法を模索しても見つからない上での話だ。
交通事故で当事者同士ではなく保険屋同士で話すことと同様。
少なくとも、男にとって嫁、男にとって姑というのをどのようにみなすか、ということは考えておかねばなるまい。
仲介役は、お互いの意見を聞きつつ、というのは理想だが、それでは「人当たりはよいが、問題は解決できない評論家」と何ら変わりがない。
(評論家批判ではない。評論家は問題を直接解決する事が仕事ではない)
単純なものさしに乗せると、男のスタンスとして「嫁寄り」ならば、それは表面上、親不孝というレッテル貼られることを受け入れなければならい。
逆に姑よりならば、マザコンというレッテルを受け入れなければならない。
最も良くないのは、どちらのレッテルも貼られたくないという理由で、その問題改善役を放棄したり無視したりすること。
ちなみに、自分は嫁よりのスタンスをとっている。
そのスタンスをとることが、じつは親のためにもなる、という信念を持っているから。
そして、そのスタンスのことも嫁、姑にもしっかり説明している。
また、住んているところの距離はなんと、、、偶然にも70kmくらいだ。
やはりちょうど良い。