多様性って難しいという話。
清潔か不潔かといえば、清潔の方が良いです。
多様性を認めて、不潔も認めよう、とはなりません。
不潔は不衛生で、科学的に良くないことがわかっているからです。
法に触れることも同様。
人を殴っても良いという主張も認めてあげよう、はNG。
違法です。
ただ、こういう分かりやすいもの以外は、それが多様性という名の下にアリなのか、ナシなのか難しいところです。
たとえば、仕事が休みの日に一日中家にいて、子供と一緒にお出かけしたことがほとんどない、というのはアリでしょうか?
今できることを後回しにすることは?
部屋や机の上が散らかっているのは?
統計で「こういう人は悪い結果を招きやすい」ということはあっても、それは所詮統計。
統計をもって人にアドバイスはできても強要はできません。
法は最低限の道徳、という言葉があります。
この道徳という部分難しくて危険。
小学校でも道徳の授業はありますが、道徳って教えられるものでもないし、ちゃんと理解できるものでもない。
ただ、道徳という概念があるのは事実で、法に触れなければ何でもOKだったら、そもそも道徳という概念すらないはずです。
自身の道徳の概念は、そのほとんどが生まれたあとの環境で決まります。
法律は国によって違うので、生まれた環境によっても守らなければいけない内容が変わってくることはあります。
道徳は国とか地域とかの単位よりもずっと細かい。
家族によっても変わるし、学校によっても変わるし、友人によっても変わるし、もちろん職場によっても変わります。
本、音楽、健康状態、時代、服装、性別、年齢、
道徳観に影響を与える可能性があるものをあげていったらキリがありません。
国が違うことによる法律の違いを受け入れるのが難しいものがいっぱいあります。
アメリカは銃の所持が認められているし、地域によっては大麻もOKです。
だったら日本の法律でも認めよう、となったら、到底受け入れられない人は多くいるはずですね。
道徳はどうでしょうか?
より主観的、個人的なので、受け入れられないことも多い。
◆
私は、道徳って大切だと考えています。
ただし、自身の道徳観を貫こうと思ったら、必ず周りとぶつかります。
そんなときは、適切な距離をおくしかないと思っています。
政治家や組織のリーダーなど、「人は人、自分は自分」で済まされない決断を迫られる人もいますが、庶民で距離をとることによって解決する問題は意外と多いと感じます。
家族間の問題や、ご近所付き合い、ママ友、学校の友だち。
仲良くできれば良いですが、仲良くしなくてはいけないものでもない。
それこと、多くの人と仲良くすることに価値をおいていない、という考え方は、多様性という意味で認めるべきだと思いますよ。