プロセスも結果も大切だ。
結果が大切なのは自明。
しかし、逆に結果が出なければどんなプロセスにも意味がない、とは言えない。
では、逆の逆で、プロセスには常に意義があるのか。
そんなはずはない。
まったく意義がないプロセスもある。
その一つが、強要によるプロセスだ。
プロセスに意義を持たせる為には
結果が出ずともプロセスが重要なのは、そのプロセスから学ぶことがあり、次回以降の糧となるからだ。
結果は「点」で、プロセスは「線」
「線」、つまり時間をかけることができ、それを自己の向上に役立てられるというところが、プロセスに意義を持たせる必要条件であり、唯一の理由と言っても良い。
先の大戦でも見られたプロセス過剰重視
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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失敗の本質という名著は何度か紹介したが、この本の中で幾度となく指摘してあったことは、結果よりもプロセスの方を重視しすぎて、結果がどうであれ(命を落とすことになっても)プロセスが大切、という極端なところまでいったことだ。
その空気醸成までの過程(これもプロセス)初期は、間違いなく強要。
軍隊的強要をフルに利用し、それこそが美学という空気を作ることに成功したのだろう。
今も残る風潮
70年以上前のことだが、その風潮は今でも至る所に名残があると感じざるを得ない。
例えば先日の電通社員自殺問題の時に知った、広告代理店のトンデモナイ常識。
電通社員は、クライアント企業に広告のプレゼンテーションをしにいくが、そのプレゼン作りは、クライアントにでかける直前まで夜を徹して行う。
すると、クライアントは目が血走し、目の下にクマがある電通社員と対面することになり、その姿をみて、「頑張ってくれたのだ」となり、契約成立に向かうことがあるそうだ。
つまり、前日の早い時間に「これで大丈夫」と思うプレゼンが準備できても、十分な睡眠をとって、健康的な顔色で出向いてはダメなのだ。
要するに、電通社員の血走った目、目の下のクマから推察されるプロセスを重視しているということになる。
問題は、それに敏感になりすぎた電通側が、社員の多くにそのプロセスを強要したこと。
自殺問題とまではいかずとも、日々の業務にも多く潜んでいる。
18:00が終業時間で、その日やらなくてはいけない仕事を急いで終わらせ、30分前に終業、というわけにはいかない職場のほうが多いだろう。
それは、18:00まで働くというプロセスが大事であって、どんな業務をしたか(終わらせたか)という結果よりもそのプロセスのほうが重要視されることを表している。
終業時間は会社の規則による強要でしかない。
◆
繰りかえすが、プロセスよりも結果のほうが大切という意味ではない。
ただし、結果が出ても出なくても、プロセスが強要である場合は、そこに意義は全くない、ということだ。