日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

ライブの鑑賞の仕方

世の中にはいろんな意見の人がいる中で、自分のしっかりとした意見を持つことと、それを他人に強要しないこと、議論を重ねることを心がけることが、何よりも大切な時代だと思う。
 
しかし、しっかりとした意見を持とうと考えている途中のこともあるわけで、その代表が死刑制度なのだが、その次にくるのが、ライブ鑑賞の仕方だ。
(全く「重み」が違うが、そこはあえて無視)
 

ライブハウスで出会った、難しい問題

自分の仕事は音楽だが、音楽は昔から好きで、できればそういった職業に就きたいと思っていたので、10代の頃から極力音楽関係のアルバイトを探すように心がけていた。
 
そんな仕事の一つに、ライブハウスのスタッフがあった。
そのライブハウスは、どちらかと言えば「大人」な感じのライブハウスで、テーブル、椅子が常設してあり、飲食と音楽でエンターテイメントを創り出す店。
音楽性もそれに沿ったものが多かった。
 
しかし、一つのライブを見ても、しっとりとしたスローテンポの曲もあるし、アップテンポでダンサブルな曲もある。
後者に近い音楽の場合、客によっては椅子から立ち、体を揺らしながら鑑賞する人もいる。
一方、座ったままクールに楽しむ人もいる。
 
さて、座ってクールに楽しみたい人の前の客が、椅子から立ち上がって楽しむ人だった場合はどうなるか。
 
前者の客は当然見えにくくなる。人によってはクレームをつける。
クレームはその場で店員に向かって発せられる。
「前のお客さんが立って見えにくいんだけど」と。
 
このとき店員は立っている人に注意をすべきなのか。
立って見ている人にとっては、立って見ようが座って見ようが、客の自由でしょ、と思うのであって、これには反論の余地がない。
 
つまり、双方の意見に筋が通っている
店員が行うことは、イコール店のルールになるので、店員が立っている人を座らせれば、座って見るのがルールになるし、クレームを無視すれば、立って見にくくなっても仕方ないと思え、というルール(スタンス)になる。
 
これは、容易には決められない問題で、その店での一応の対処法は、その状況に店員である自分たちが出くわしたら、店員を通さず直接言ってもらうように促す、というものだった。
 
しかし、この対処法が良い方法とも思えない(悪い方法ではもちろん、ない)。
 

身の回りにある、結論の出ない問題

あれから10年以上の月日が流れているが、いまだに同じ状況でどうすべきか、という「しっかりした意見」は出せない。
 
ライブ鑑賞に関しては、こういった事は日常茶飯事で、その代表が子どもの対処だ。
音楽のライブではないが、同様の悩みをテーマにした記事だ。
そう簡単に結論を出せないことだ、ということが文章から読み取れる。
 
 
哲学によくある難しい問い(トロッコ問題など)の多くは、その内容自体があまり現実的ではないことが多いが、上述したことは、かなり身近なことだ。
 
ステージに立つような人でなくても、またライブというシチュエーションではなくても、同様の状況は、公共・公共に近い場所ならばいくらでもある。
 
なかなか結論の出ないテーマなので、考え続けることがが大切なのかもしれない。
 身近という意味では、死刑制度よりも軽いが「近い」問題だ。