自分が20歳前後の頃を思い返すと、政治のことなんて何も考えてなかった。
まさしく平和ボケで、選挙では国は変えられないし、そもそも変わらなくても良い、と思っていた。
だから、もしかして自分には若い人に政治に関心を持ってほしい、選挙に足を運んでほしいという資格はないのかもしれない。
しかし、それでも自分はやはり若い人には政治に関心を持ってもらいたい。
なぜか。
それは、もし当時の自分の周りに、なぜ政治に興味を持った方が良いのか、を語ってくれる人がいなかったから。
そして、「たら・れば」の話で申し訳ないけれど、もしそういう人がいたら、必ず選挙に行っていただろうと思うから。
いや、行きたいと思いたかったから、だ。
これは言い訳だ。
インターネットはいまほど普及していなかったとはいえ、ラジオ、テレビ、新聞は十分すぎるほど周りにあったし、その中には投票に行くことの重要性を訴えるものはたくさんあった(はずだ)。
ちゃんと政治に興味を持ち、投票に足を運ぶ人も少なからずいた。
ほぼ同じ世代、ほぼ同じ環境であってもだ。
だから、言い訳だ。
こういった言い訳を、人生の折り返し辺りの年齢に差し掛かっている自分がこういう場を使ってすること自体が、恥ずかしいし情けないとは、思う。
だからこそ、発信し続けたい。
自分のような恥ずかしい、情けないことを、この歳になってしなくても良いように、と願ってしまう。つまり老婆心だ。
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考えてみれば、小学生くらいの頃から自分は典型的なひねくれ者で、根拠がないことに対しては、たとえその相手が先生や目上の人でも、納得いくまで糾弾していた。
「大人になればわかる」という言葉を今まで何度言われてきたことか。
そして残念ながら、その大半は大人になったはずの現在でもわからない。
それは、願わくば、自分が大人になりきれていない、とは思いたくない。
この歳になって、大人になってみないとわからないことが確かにたくさんあったことは認める。
多様性を重視するこの時代は、たしかに複雑極まりない。
しかし、一般的な高校生くらいの年齢・経験でも十分に理解できることも多くある。
少なくともロジカルなことならば、十分に理解できる能力が備わっている。
そして、なぜ選挙に行ったほうが良いのかという理由のほとんどは、ロジカルな理由だ。
政治、選挙と言えば、初等教育、公民で習うような、衆議院定員が何名とか、省庁の名前がどうだとかの暗記などを連想させるが、それらは別に覚えなくても良い。
そんなものはGoogleで調べれば、どんな教科書や参考書よりも詳しい説明を見ることができるだろう。
そうではなくて、若い人たちが選挙に行くことで、なぜこの国が「確実に」良くなるか、ということを伝えれば、大人になる前でも必ず理解できる。
先日紹介した東浩紀氏の著書「一般意志2.0」の中には、大雑把に言えば選挙のシステム自体の不毛さが書いてあり、どこまでもそれは納得いくものだった(かなりロジカルだったから)。
今後世の中はそのように(つまり選挙に替わる新しい民意反映のシステムに)変わっていくのかもしれない。
そうあるべきだとも思う。
しかし、それまでの過渡期は、やはり選挙だろう。
ぜひ選挙に行ってください。