昔聞いたある人の話をふと思い出した。
その人の近所には三叉路があり、少し見通しが悪いためか、そこである日交通事故があった。
不幸なことに、その事故で小学1年生の男の子が亡くなったそうだ。
その日以来、その三叉路は若干事故が増えたそうで、その話題性に着目したテレビ局が、霊能者とともにそこを訪れる。
霊能者は、事故で亡くなった男の子の霊が成仏できずにさまよっており、それが事故などの災いを引き起こしている、とテレビで言った。
数日後、その三叉路そばに小さな椅子を持ってきて一日中座っている女性が表れた。
その女性は、来る日も来る日も、雨の日も風の日もその三叉路に座り続けて三叉路付近を見つめている。
気になってその女性に話しかけると、実はその女性は、亡くなった男の子の母親だという。
「テレビで、息子が成仏できずにここにさまよっていると聞いたのです。息子が可哀想で。
それに幽霊でも良いから、もう一度会いたい。
そしてなによりも、息子の霊がこの地に災いをもたらしているということで、いてもたってもいられなくて、私がきて、最期のお別れをすれば成仏してくれるかな、と思ったのです」
たとえ事実でも、普遍性はない
霊は科学で証明されていない。
しかし、科学は万能ではない、と霊能力者は言う。
科学は確かに万能ではない。
しかし、だからといって霊能力者の言うこととは決定的に違う。
それは、普遍性があるかどうか。つまり、ほとんどの物事に当てはまることをベースにしているかどうか。
例えば医学。ある医者が風邪だと診断したものは、他の医者が診断しても風邪となる。
これが普遍性。医者のみならず、それが患者にも通用するから、医者から患者に向かって「風邪だ」と言って良い。
しかし、霊能力者の言うことには普遍性がない。
一枚の心霊写真をみて、みな同じ霊視(というらしい)をした、という例は、偶然以外きいたことがない。
間違ってほしくないのは、それが事実かどうかではなく、普遍性があるかどうか、だ。
全ての霊能力者が嘘をついているとは思いにくいので、中には本当に霊的なものが見えている人もいるのかもしれない。
しかし、それが本当であっても、証明ができない。
できない限りは、普遍性はない。
だから、霊能力者が他人にアドバイスをすることはできないはずだ。
霊能力者から他人に向かって何かをアドバイスするには、普遍性が不可欠。
霊能力者だけに見えることや感じること、という事実は、他人は見ることも感じることもできない事実なのかもしれない。
言葉は、時に人を不幸にする
こういう客観的事実くらいは、いくら霊能力者でも知っているべきだ。
つまり、「本当に見えるのだけれど、社会には認めてもらっていない」という事実を知っておかなければいけない。
それを知らずに、上記のテレビ番組に出てくるような霊能者が軽率な発言をすると、そこに不幸が生まれる。いや、不幸しか生まれない。
癌が転移して、もう助からないという事実。
これは普遍的事実であっても、患者に告知するかどうかは微妙なところだ。
なぜなら、それが良いことか悪いことかが誰にも判断できないから。
普遍的事実でさえ、言葉に出して言うべきかどうかを悩むことがあるのに、普遍性がないことをテレビ番組で言うことなどもってのほかだ。
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自分自身は、霊的なものを含めた非科学的なことは信じていない。
しかし、繰り返すが科学が万能ではないのは確かだし、いくら科学が進歩しても、死後の世界だけは観察できないので、絶対否定もできない。
つまり、わからない、で良い。
科学でわからないこと=霊との判断はあまりに普遍性を欠くし、それに基づいた発言は、少なくとも公共の場では絶対に避けて頂きたい。