旅行が大好きだ。
日常のマンネリ化を防ぐという意味で良い。
非日常を味わうと、日常の大切さへの気づきも生まれる。
たまに旅行があんまり、という人もみかける。
人の好みの問題なので、特に気にすることはない。
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ところで、旅行があんまり、という人の理由に経済的なものも、まあまあある。
旅行に完全無料で行くのは無理だ。交通費、食費、泊まるのならば宿泊費、その他色々な出費は仕方ない。
しかし、その費用を抑える工夫はできる。
まずは食費だが、そもそも食費は旅行に行かなくても発生するから、旅行の費用と言って良いのは、旅行にいくことによって特別に発生した余剰分の費用のみだ。
具体的には外食費などであろうが、これは回避できる。
弁当だ。
旅行の良いところは、節約行為が旅行っぽさ増すことにつながることだ。
泊まる場合に限って言えば、宿泊費を抑えるために車中泊という選択をすれば、旅行っぽさは格段に増す。
車中泊をするための場所選びや、車内のカスタマイズなんかは、旅行の一部といってよい位楽しい。
交通費はどうか。旅行は多かれ少なかれ、住んでいるところから遠くに離れる行為なので、こればっかりは致し方ない。
しかし、車の場合、高速での移動を節約のやめに下道に変えると、旅行っぽさは増す。
高速の景色に比べれば、下道の景色は大抵興味深い。
そこにある風景、人、店、全てが旅行の楽しさを増してくれる。
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経済的理由で旅行があんまり、という人の中で、お土産代をあげるひとがいる。
正直言って、お土産は不要だ。
いや、経済的に余裕があれば、お土産を買うことを悪いとは思わないが、それを買う余裕がないことが旅行に行く歯止めになっているとしたら、もったいない。
これを言うと反論もありそうだが、お土産自体にはそんなに物質的な価値はない。
その土地の名産というならばわからないでもないが、包装紙にその土地を表す何かが印字されているだけ、というものなどは、本当に価値がない。
しかし、物質的な価値はなくとも、意味はある。
それは、それを”ダシ”に、旅行の話が弾む、というもの。
逆に言えば、話さえ弾めば、そこにお土産はいらない。
土産話、という好きな言葉がある。
土産話こそ自分は最高のお土産だと考えるし、どこか旅行に行って帰ってきた人からは、お土産よりも土産話の方がより嬉しい。
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Google Earthも良いが、あえて面倒な旅行に行こう。手間暇かけて旅行に行こう。
だからこそ非日常で、非日常だからこそ日常が素晴らしいと感じられる。