日々の生活の中で、へこむことってありますよね。
へこんだことがない人っていないと思います。
私が大学生だった頃、へこんだ理由はいろいろありましたが、その多くはお金に困ってのことでした。
学費も生活費も自分で払っていたので、いくらバイトをしても慢性的に貧乏です。
学費を払うためにアルバイトをたくさんしすぎて、講義に行けないという負の連鎖に陥っていました。
貧乏自慢の趣味はありませんが、とにかく貧乏でした。
電気もガスも家賃も、そして最後の砦と言われる水道も止まった時期があります。
まさしく生活が成り立っていませんでした。
お金がない時は、収入を増やすか支出を減らすしかなく、収入は当時の状況から考えれば限界まで増やして、それでも足りなかったので、支出を減らすしかありません。
といっても、衣食住、その他で実際に減らすことができるのって、食費くらいなんですよね。
衣食住の衣は、そもそも服なんてずっと同じものの使いまわしです。
住だって、家賃はそうそうさがらないし、かといって引っ越すとその費用もかかります。
それ以外の贅沢なんてそもそもしていません。
で、食費をどこまでも切り詰めました。食費を切り詰めるというのは、最終的には量を減らすということになります。
量を減らすとどうなるか。
もちろん足りないわけです。食欲的にではなく、健康的に。
結果、栄養失調で倒れ、その医療費の方が高くつくという、いかんともし難い状況になります。最悪ですよね。
上記しましたが、貧乏自慢したいわけではありません。
貧乏をしたときにしか学べなかったことがあるな、と思うのです。
それは、いくら貧乏になっても、貧乏たらしくなるべからず、毅然としていることが大切だ、ということです。
これは、尊敬する私の先輩が、やせ細っていく私にくれたアドバイスです。
そして、強がりでも良いので笑え、と言われました。
そんなアドバイスより金や食事をくれよ、と当時は思いました。
しかし、この言葉は後からじわじわと私のなかに染み込んでいきます。
心だけは貧乏になるな、ということですね。
これには、特殊なエネルギーが必要です。
ある意味馬鹿にならないと難しいかもしれません。
なぜなら、お金がない状況は、具体的、現実的にまずいわけで、それでも正気を保て、ということですから、要するに理屈で考えるな、ということになります。
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少なくない数の私の知人は、お金の問題で私の前から、私の周りから姿を消しました。
最悪の結末を迎えた人もいます。
その人達は例外なく、笑っていませんでした。
スピリチュアルなことには全く興味がない私ですが、そんな私でも、へこんでいる時にあえて笑う、お金がない時に毅然とふるまう、ということで何かが上向きになる、ということだけは信じています。
これは、私には珍しく、理屈ではなく信じていることです。