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記事中にあるように、死者数は厳罰化が功を奏し、減ってきてはいるようです。
しかし、まだまだ多い。
ゼロは現実的でないかもしれませんが、飲酒運転に関しては意識の問題なので、限りなくゼロに近づけることは出来るはずだし、その努力を社会全体でするべきでしょう。
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私の両親はお酒が好きで、人が好きで、パーティー好きです。
つまり、宴会好きですね。
私が小学生の頃、何かと理由をつけては近所の人を家に招き、人の家を訪問し、宴会をしていました。
訪問する場合、近所ならば当然歩きですが、時々車で行く距離の家での宴会もありました。
行きはシラフですが、帰りはどうするのか。
飲酒運転です。
当時は厳罰化前で、社会的にも飲酒運転の危険性があまり叫ばれていなかった時代です。
当たり前ですが、当時の人のほうが酒に強い、なんていうことはありません。ということは、同じように危険だったのです。
酔ったまま運転する親の車の助手席で、怖い思いをした記憶があります。
田舎だったため、川沿いの道でガードレールがないところがあったのですが、その川に車ごと落ちそうになったことがありました。
車体は大きく傾き、声がでないほど怖れました。
でも、かなりのスピードが出ていたためか(もちろん速度違反です)、落下は免れました。
親はというと、酔っているので恐怖心も麻痺している様子で、笑っていました。
このレベルの怖い思いをしたことはこれきりですが、親の飲酒運転に乗ったことはいくらでもあります。
今の価値観で当時の判断をするのはダメなことだとは思いますが、それにしたってめちゃくちゃです。
でも正直なところ、当時飲酒運転する人は多くいました。
そのくらい、社会の飲酒運転の見方は、軽いものでした。
繰り返しますが、今も昔も飲酒運転の危険性は何も変わりません。
そして、厳罰化となり、飲酒運転者に厳しい目が向けられる今のほうが健全な社会といえることは間違いありません。
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飲酒運転に関しては、今後も減らす努力をするとして、それ以外のことも改めて考える必要がありそうです。
つまり、今は大したことじゃない、と思っていることも、よくよく考えれば大したことだ、ということがあるかもしれない、ということです。飲酒運転のように。
それに気づくためには、情報をかきあつめ、流されることなく自分のアタマで考えることが最も重要です。
みんなやってるよ、という空気が招いた飲酒運転事故の犠牲者は少なくありません。
私や家族もその犠牲者になった可能性が十分すぎるくらいあります。
飲酒運転厳罰化のきっかけになったのは、福岡、海の中道で起こった事故です。
こんなに悲しい事故が起きないと、社会の空気は変わらないのでしょうか。社会は変われないのでしょうか。
将来のある若い、優秀な女性は、会社の空気によって命を落としました。
電通の女性社員自殺事件です。
労働環境の見直しに社会全体で取り組むことも、こんなに悲しい事件が起きないとできないのでしょうか。
私たちは、昔より随分多くの情報、広い情報を得ることができるようなりました。それによっての弊害も確かにあります。
でも、色々なことをそもそも論で考えるきっかけになることは事実です。
自分の周りの空気と切り離されたフラットな情報を手元にまで呼び込むことができます。
昔の人よりも情報がたくさん、そして広くある分だけ、私たちは健全な社会を築いていけるはずです。
そうならなければいけないのです。
空気を読むことは大切です。
でも、読むべき空気は、自分の周りの空気ではありません。
社会の、世界の空気です。
その空気と自分の周りの空気が違って、KYとバカにされた時、私たちはどちらの行動を選ぶべきなのでしょうか。