育児に携わると、社会の見え方が変わります。
それは間違いなく良いことで、発見する度に「うん、うん」と変に納得しています。
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近所にTSUTAYAがありますが、その店がこの度リニューアルオープンしました。
家族連れを意識した作りになっており、子どもの遊び場設置や、絵本コーナーの充実が図られています。
子どもの遊び場や絵本コーナーは、子どもが多く使い、子どもの中にはまだ歩行がおぼつかない子もいるので、転倒しても怪我をしない工夫がされていることが多いですね。
絨毯だったり、低反発の素材だったり。
ここのTSUTAYAは、それらのコーナーの床が、人工芝になっています。
緑は目にも優しく、床の堅さも程よい。
子どもは大喜びで満足、親ももちろんこういった工夫がされているととても助かります。
しかし、これらのコーナー、不思議な現象があります。
子どもも親も、靴を脱いで遊んでいるんです。
それの何が不思議なの、と聞かれそうですが、入口の横には、かなり大きめの文字で
「靴のままお入りください」と書いてあります。
しかも、数カ所に、絶対に見逃さないように、といった勢いで書いてあります。
にも関わらず、そこにいるほとんどの人は、靴を脱いでいます。
不思議でしょう?
普通のフローリング床から人工芝に入るとき、通常ならば靴を脱ぐ、という感覚に頼っての行動でしょうか。
しかし、その感覚と書いてある内容、どちらが正しい行動かは自明ですね。
そこでもう一つ不思議な感覚に陥ります。
書いてある行動(つまり靴のまま)と、みんながとっている行動(つまり靴を脱ぐ)を天秤にかけたとき、私自身も結構迷ってしまうのです。
これが日常に訪れる同調圧力です。
いろんなことを考えてしまうのです。靴のまま入ると、自分はまだしも、娘たちですら「まあ、靴のままはいっている・・」と批判的な目で見られそう、と心配している自分がいます。
正しいことがこれほどはっきりしているのに、若干の迷いが生じます。
正しいことがはっきりしていないことについては、若干どころかかなりの勢いで同調圧力が働くことは間違いありません。
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結局私たちは、靴のまま入りました。
こんなことくらいで人に流されていたら、軸がない人間になってしまいます。
自分はまだしも、娘たちにはそうはなってほしくありません。
空気を読むことと、空気を知ること、それからそれらが正しいかどうかは、各々全く別のものさしです。
また、人の振り見て我が振りなおせ、というように、自分が多数の方に入った時は、思考停止になっていないかを気をつけないと、と改めて思った一日でした。