いつまでも健康でいたいというのは、みんなが願うことだと思います。
そして、ヒトの体はほぼ食べ物からできるので、健康と食事が密接に関係あることは当たり前です。
情報過多の時代には、そんなみんなの願いを叶えるために、おびただしい量の記事やニュースが飛び交います。
私が「またか!」と思うのは、コーヒー、牛乳、朝食あたり。
多分1ヶ月ごとくらいに、これらが健康に良いだの悪いだのという記事を見かける気がします。
最初の頃は「結局どっちなんだ!?」と怒りを覚えましたが、最近はそんなこともなく、結局わかんないんだな、と思えるようになりました。
大人になったんですかね。
ヒトの体は宇宙解明よりも難しいらしいので、未だにわからないのも無理ないと思います。
さて、冒頭にある記事には、強く同意できます。
特に最初の方に書いてある、自然のもの=カラダに良いもの、という式はどういった根拠に基づいてできたものなんですかね。
科学の時代なので、自然のもの以外の添加物を食品に使うのは当たり前の時代で、その中には確かに体に悪いものがあるのも事実ですが、かといって自然のものがなんでも良いというのは、まったく論理的ではありません。
例えば発酵食品の多くはカラダに良いと言いますが、発酵というのは言い換えれば腐らせることです。
とても単純化して言えば、腐ったのちに食に適したものができたら、その過程を発酵と呼び、食に適さないものができたら腐ったと呼びます。
起こっていることは同じです。
この辺は、自然のものかそうでないか、という基準ではありません。おいしく食べられるかどうか、です。
また、自然は結構危険がいっぱいです。トリカブトなんて超猛毒です。
フグだって毒があるので、資格がないと調理できません。
自然かそうでないか、ということなんて、結局食べられるかどうかという基準に比べれば、大した基準にはなりません。
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すでにお亡くなりですが、料理研究家に小林カツ代さんというかたがいらっしゃいました。
その人の言葉をいくつか紹介します。
親は子どもに「おいしいもの」を食べさせることがいちばん大事。
「これもいい」「あれもいい」という発想のほうがおいしい料理を作れる。
「手作り」という言葉も嫌いですね。
だって、料理は手で作るに決まっているじゃないですか。
自然食にこだわる人もどうでしょう。
何でもかんでも「自然」にこだわる人にはユーモアが感じられません。
わたしは、まさしくこの通りだと思います。
特に頷けるのは最初の「おいしいもの」というところ。
健康に良い、自然だ、ということよりも、おいしいということの方がはるかに優先されるべきだと私は思います。
ヒトにとって食事は、健康維持の役目にとどまらず、幸せな生活の重要な役割を果たしてくれています。
生きていける、という理由だけで一生点滴でも良い、という人はあまりいないでしょう。
おいしいから食べる、これが一番だと思います。
ちなみに、、、、だから好き嫌いがなくなんでもおいしく食べられるというのは、結構な長所として自慢して良いことだと思います。