今週のお題「ちょっとコワい話」
小学生の頃、部活(サッカー)を終えて帰宅。途中までは友達と一緒でしたが、最後は一人きりになりました。
田舎なので、人通りも少ないし、街灯も少ない。
季節は確か夏だったので、寒くはありません。むしろ汗ばむほどです。
自宅直前の十字路を曲がってすぐ、首筋を何かが触りました。手で撫でるように触られ、後ろを振り向くと、誰もいません。
気のせいかと思いますが、それにしてはえらくリアルな感触が首筋に残っていました。
実はその十字路では、3年ほど前痛ましい事故があっていました。
子供が車に轢かれて亡くなっていたのです。
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コワい話としてはあまりにも地味ですが、これは本当に私が経験したことです。
あのとき首筋を触られた感触は、今でもありありと思い出せるほどで、気のせいだとは到底思えません。
とまあ、ほとんどのコワい話は、それが本当のことである後押しをするために、今でもよく覚えている、などといったエピソードを付けます。
しかし、それと現実は違うのだろう、と思っています。
それを言ったら身も蓋もない、ということになりますが、まあまあ、、、
たとえば、マジシャンがするマジック、見たことありますよね。
昔よりもよりダイナミックに、そしてよりタネがわからないようになってきている気がします。
あのマジックは、マジックだと最初から聞いているから、タネがわからなくもてトリックがわからなくても、そこで起きた現象が怪奇現象だとは思わないわけです。
先入観なし、前情報なしで、かつもっと起こる現象が地味なものだと、ネタばらしをするまでほとんどの人が、そこで起こった不思議なことを現実として受け止めるのではないでしょうか。
また、錯視もありますね。
水平な線の長さは、実は同じですが、これを日常生活のなかで見たら、下の方が長く見える人がほとんどです。
気のせいではなく、本当に下の方が長い、と言うでしょう。
人の脳は、先入観や前情報、その他いろんなことで簡単に勘違いを引き起こします。
私の経験したことだって、そこで痛ましい事故があったことを知っていたことに起因すると思っています。
その存在や現象が真実だ、と言うためには、やはり科学的な検証が必要となります。
ちなみに、科学は万能ではない、ということを言う人がいますが、ここで科学を持ち出すのはそういう意味ではありません。
科学は複数の人間によって証明されている、という意味です。
霊能者が、そこに霊がいるということを証明するためには、複数名の霊能者を連れてきて、同じものが見えるかどうか、という検証が必要だ、ということですね。
私には見えるが、あなたには見えない、これではどんな嘘もつけてしまうし、見えている本人ですがそれが錯覚なのか勘違いなのかわからないので、科学による検証に頼るしかないということです。
上の錯視の例で言えば、実は同じ長さだということを証明するためには、上下の画像を重ねてみる、という科学的検証を行うわけです。
まさか、上下の画像を重ねて同じ長さなのに、「いや科学は万能ではないので、この2本はまだ違う長さの可能性がある」なんてことを言う人がいたら、ちょっとイタいひとになっちゃいますね。