数日前にこの事件(?)に関しては書きましたが、少しずつ自分の意見が変わりつつあるのと、別のツッコミどころがあったので、改めて。
そのツッコミどころ、というのは、日野さんの肩書です。
多くのニュースでは、日野さんの説明で「世界的トランペッター」とか、「ジャズトランペッター」という肩書を載せていますね。
あの事件、問題になっているところだけに着目すれば、実はその肩書は不要なはずです。
しかし、実際にあの肩書があることの印象は大きいのではないでしょうか。
例えば日野さんが若く、パンクロッカーという肩書だったら、擁護意見は減る気がしませんか。ハードロックやレゲエなんかでもそうかもしれません。
これを読んでいる人の中で、普段からジャズを聞く人(聞こえてくるではなく)はどのくらいいるのでしょうか。
日本におけるジャズの市場を考えると、そう多くはないはずです。
ジャズは舶来、オシャレというイメージがあり、市場の小ささほど印象が悪いわけではなく、むしろ高品質な音楽というイメージを持っている人も多い。
正しいか正しくないかはさておき、それがジャズの一般的なイメージではないでしょうか。
それと比較してパンク、ハードロック、レゲエなどに高品質というイメージを抱いている人は少なく感じます。
誤解のないように書きますが、ジャンルごとに高品質とかは絶対にありません。どんなジャンルの音楽にも、良いものから悪いものまであります。
ただ、それはさておきのイメージがあるという意味です。
さて、ジャズのイメージを簡単にまとめると、「よく知らないが高品質な音楽」ということになります(繰り返しますが、これは実際は違います・・)。
そのジャズ界で世界的に有名な人が行った行為、という捉え方をされるわけですね。
今回の事件は、誰がそれをやったかはあまり重要でなく、教育上ビンタがあり得るかどうか、ということのはずです。世界的だとかジャズだとかいうのは暴力行為の免罪符にはなりません。
ということもあって、あれから数日経って、今はやっぱりビンタはマズイ、と思っています。
数日前にも書きましたが、日常から完全に暴力をなくすことはできません。
だからこそ、できるだけゼロに近づける努力をしなくてはいけないと考えます。その場合、教育という現場では少なくとも許されない行為だと思います。
親と子の関係に近い、とインタビューで答えていましが、そこにどれほどの共通した認識があったのかは傍からでははかれません。中学生のほうに聞いても、本当のことを話せるかどうかわかりません。
だから、まずは暴力をナシとする必要があると思います。
ナシという前提があればこそ、別の方法で問題を解決する方法を模索するきっかけになりえるのだろうと思います。