昨日私が投稿した記事と少し関係がありそうな記事です。
ちなみに、この記事を見つけたのは私の投稿後です。
日本は島国で単一民族だから、思想、文化など様々な分野で、良くも悪くもガラパゴス化が進んでいる、というステレオタイプな意見は今でもよく耳にします。
そういった部分が全く無いとは言えないものの、現代ではインターネットをはじめとした情報のボーダーレス化がだいぶ進んでいるのも事実です。
冒頭に記事で指摘してあるような、そして昨日私が投稿した元となったような記事は、情報のボーダーレス化の中からその反動として生まれてきたトピックなのかもしれません。
しかし、私は冒頭の記事で「大嫌い」はいささか言い過ぎではないか、と思います。
まず「変」という言葉に、ある程度のネガティブなイメージがまとわりついているのがよくありません。
変人、変態など、あまり印象のよくない単語に使われているのは事実です。
しかし、その印象を取り除いて冷静に考えれば、それは「統計的に少数」ということです。
つまり、「日本人のここが変」といって紹介される事柄には、確かにネガティブな事柄も含まれているとは思いますが、それよりも「日本人が当たり前と思っていることは、世界的に見れば珍しい」という事柄を紹介している、という側面も大きいと思います。
当たり前ですが、マイノリティーは何にも悪くありません。
いつから日本人は、外からどのように見られているかを気にするようになったのでしょうか
本文からの引用ですが、それには情報技術の発達が大きく関係していることは言うまでもありません。
そして、どのように見られているかを気にすることが悪いこととも私は思いません。
以前の投稿ですが、私は空気を知ることは大切だと思っています。
今件に沿って言えば、外からどのように見られているかを知っていることは大切だと思います。
日本人が当たり前だと思ってやっていることが世界では少数ということを知っていることも大切だと考えます。
問題は、「KY」と言われることを恐れて、思想なく流されてしまうことや、少数を排除しようとする風潮の方だと考えます。
空気を知った後で、自分の意思でその空気になじむこと、あえて壊すこと、自分でつくること、それは個人の自由です。
世界には数十億の人が住んでおり、百数十カ国の国家が存在しています。日本がその中のごくごく一部でしかないことを知る機会としては、日本人の「変さ」を改めて紹介するのもありだと思います。
ただし、そこにネガティブな印象操作が入ってしまうと、本末転倒であることも事実です。