まだ結婚する年齢ではない女の子が、料理が上手だったり掃除をこまめにする人だったりすると、
「あなたはいい奥さんになれるだろうね」
という言葉が発せられることが多い。
言う方にも悪気もないし、これに敏感に反応する人も少ないでしょうが、よく考えるとちょっと差別的です。
料理や掃除は、夫婦においては女性がするもの、という前提がなければ、こういった発言はありません。
逆に、どちらがしてもおかしくないものならば、例えば男性が料理や掃除に長けていると
「いい旦那さんになるだろうね」
という言葉も同様に成り立つはずですが、このシチュエーションでこの言葉は聞いたことありません。
もっと細かく言えば、奥さんという呼び方も差別的要素を含んでいます。
家の「奥」にいることが前提です。
身分の高い人を指す言葉として使われていたそうので、その当時は差別的意識は皆無でしょう。
しかし、現代では女性も外に稼ぎに行くのが当たり前の時代です。
奥にいることは全然当たり前ではありません。
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いじめも差別も、完全になくすことが相当に難しい。
それは、それをやっている方に悪気も意識もないからです。
実生活の中で、私は普通に奥さんという言葉を使います。
妻がその言葉で傷ついているとは思いません。
しかし、少しでも減らしていこうと思えば、こういったことにも食い込んでいく必要があるのかもしれません。
最近はあまり聞かなくなりましたが、バカチョンカメラだって、エスキモーだって、片手間という言葉だって、それを言われた人のうち実際に傷つく人はごく僅かのはずです。少なくとも肌感覚ではそう感じます。
しかし、これらは差別用語とされ、公共の場では発言を控えるべき、とされます。
ただ、それとはまた別問題もあります。
こういった言葉を使わなくなる事によって、差別自体がなくなる、と勘違いしてしまうことです。
障害者という表記は、最近では障がい者、しょうがい者と表記されるようになってきました。
漢字に含まれる意味を考えてのことです。
しかし、その表記をなくすことと、差別意識がなくなることは、直接は関係ありません。あくまで、差別を少しでも減らしていこうというきっかけに過ぎません。
そう考えれば、例えば「バカチョンカメラ」という言葉をいくら使わなくなっても、意識として朝鮮半島の人を差別していたら、本末転倒ということになります。
枠組み(言葉や表記)を変え、意識を変える。その両方がすすんでいけば、少しずつ差別も減るのかもしれません。減らないのかもしれません。