小学校の頃に国語のテスト問題で、次のようなものがあった。
「掃く」の読み方を答えなさい
自分は、余裕で答えた。
テスト終了後にクラスメイトに聞いても、その答えは一致していた。
その結果、なんと全員が☓になっていた。
一人残らず、全員だ。
全員間違っているのだから、当然本当の答えは友達に聞いてもわからないし、第一全員同じ答えで間違っているのだから、確率的に言えば、採点したほうが間違っていると判断したほうがもっともらしい。
さて、これの答えを自分を含めたクラス全員はなんと答えたかおわかりだろうか。
答えを聞いても納得いかない
答えは
「はわく」
このブログの読者で、自分と同じ地方出身者(ちなみに、今でもその地方に住んでいる)ならば、これは容易に理解できるはずだ。
もちろん、いまは本当の答えが「はく」ということは、知識としては知っている。
しかし、ほうきをつかって掃除することを、生まれてから今に至るまで「はく」といったことなど一度もない。
多分自分の周りの知り合いに「はく」と言うと、息や嘔吐物を吐くという意味でとらえられる。
どんなに前後の意味からそう思えなくても、かといって「はわく」の標準語という連想にはたどり着かない。
上述のテスト問題、先生もおなじ地方に住んでいるので、はわくと書いた生徒全員に☓をつけるのが心苦しかったらしい。
が、確かに正答ではないから、致し方ない。
要するに、はわくという言葉が方言だという認識がまるでないくらい、この言葉は浸透しきっているのだ。
テレビやラジオは基本標準語が多いので、それらと照らしあわせて、普段つかっている言葉の中に方言を見出すことはできるのだが、掃除の話題なんてテレビやラジオでそうそう出ないので、照らし合わせる機会がなかったのだ。
方言を方言と認識するのには、時間がかかる
おそらく、こういった言葉は他にもまだまだあるのだろう。
たとえば、「離合(りごう)」
車同士がすれ違うことを指すが、これも方言らしい。
方言なのに、漢字が充てられているうえに、自動車学校の先生もかなり使う用語だ。
上記と同じように、テレビやラジオで取り上げられることも少ない用語なので、これが方言だと知ったのは、成人後だ。
いったい、どういった経緯で方言に漢字が充てられるのだろう。
正しい日本語とは何か
話が飛躍するが、正しい日本語とはなんだろう、と考えることがたまにある。
レジの店員が客からお金を受け取るときに「1000円からお預かりいたします」と言う時があり、それに鋭く突っ込むひとがいる。
要は、「から」の部分が間違いらしいが、ここが間違っていることによる弊害はなにかあるのだろうか。
意味は100%通じるし、失礼とも思わない。
要するに、正しい日本語を知っている人「だけ」が感じる違和感を押し付けているだけではないだろうか。
だとすれば、それは自分がそういう言葉を使わないようにすれば良いだけの話で、人に注意するほどの問題でもないと思う。
言葉なんて、時代によっても地方によっても著しく変わるから、正しい日本語なんて日常生活に求めるのは無理があるのではないだろうか。