日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

私用だからダメはどうなんでしょう

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冠婚葬祭って、堂々と優先できるイベントのくくりだと思っていました。

 

日本ってこういうところがちょっと不思議ですね。

今でこそ、その傾向は弱まりましたが、昔は会社の上司の結婚式、披露宴は出席必須でしたし、逆に部下の方も上司を呼ぶのが礼儀の一つでした。

上司を披露宴に呼ぶと、スピーチや乾杯をお願いするのも常で、その話がつまらないことも多い。

 

famo-seca.hatenablog.com

 

ということで、決して出席したいわけでもない結婚式にも行かなくてはならないことがあります。

一方この記事のように、弟弟子の披露宴なのに出席不可、というルールもできるわけですね。

言葉とおり、ねじれています。なぜ出席したい人が出席できる披露宴にならないのでしょうか。

 

私は相撲界のことはよくわかりませんが、弟弟子と本人の関係って相当近くて深いものなんじゃないですか?

これが「私用」という意味でだめならば、血の繋がった兄弟の披露宴出席も私用なのでだめになるんですか?

 

さらにさらに、上に冠婚葬祭と書きましたが、葬式もだめなんでしょうか?葬式も私用でしょう。?

例えば自分の親が亡くなった時に葬式に出席するのもNGということになるんですか?

これらが全て「私用だから」という理由でだめならば、むちゃくちゃすぎるルールです。

 

しかし考えてみれば、ずっと昔に報道を見て同じ疑問を抱いたことを覚えています。

それは2002年、当時サッカーの日本チーム監督だったブラジルの英雄ジーコが、実母急死の為、試合を代理(山本昌邦コーチ)に頼み帰国した、という報道を見た時です。

 

あの時、少なくないコメンテーターが「仕事とプライベート、どちらを優先するのかという問題ですね」みたいなことをコメントしていました。

当時の私は、それを聞いてとても驚き、疑問を持ちます。

自分のお母さんが亡くなったのに、仕事か葬儀か迷うのの?

 

しかしそれから数年後のこと。

私が人生の師匠と仰いでいる人がいるのですが、その人は飲食店を経営していて、かなり成功しています。人間力で人を魅了する典型のような人です。

その人はこう言いました。

「俺はな、もし親父が亡くなっても、その日が営業日ならば厨房に立つ。それが俺の生き方だし、親父もそれを絶対に望んでいる」

 

 

色んな考え方、生き方があります。

葬儀に行ったところで、心以外が何か変わるわけではありません。だから、暇ができた時にお墓に手を合わせに行くくらいで良い、という人。

こんな時代で、何もかもが合理主義になっていくなか、人の生き死にに関してだけは、ただ心に従って行動したい、という人。

 

しかし、それは少なくとも他人から強制されるものではありません。

今回の記事は人の生き死にではありませんが、披露宴だって人生の中の特大イベントであることは間違いない。

それに対する思いは個人的、主観的で良いのではないでしょうか。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

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