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性的マイノリティーが認知された時代になったからこそ生まれた抗議、非難です。
全うな抗議ですが、難しいところでもあります。
フジテレビはかつて、面白くなければテレビじゃないというスローガンを打ち立てていました。
報道とは別に、エンターテイメントを追求するテレビ番組のあり方は間違っていません。
しかし、面白さの犠牲になる人がいることを忘れていけません。
バラエティーに限らず、どんな番組、コンテンツであっても、誰かが傷つくことはあるでしょう。
身近な人を交通事故で亡くした人は、新車発売のニュースすら見たくないかもしれません。
しかし、それを言い出したらゼロリスク思想に陥ります。
だから、傷つく人が一人でもいる可能性がある場合はNG、というわけにもいきません。
今回の問題はまず、キャラから連想されるものではなく、性的マイノリティー自体を笑いのネタにしているところです。
上記の車の例で言えば、新車発表のニュースはOKでも、交通事故で亡くなった人や後遺症がある人を笑いのネタにするような番組はありえません。
それに、ゼロリスクはムリでも、やはり傷つけるかもしれないという想定とその対象人数は、コンテンツ制作サイドは程度把握するべきです。
少し古いですが、2015年4月23日電通ダイバーシティーラブが調査では、日本には日本人口の7.6%の同性愛者を含むLGBTがいるということです。
全然少なくない数字です。
ところが、もう少し考えてみると別の切り口が見えてきます。
お笑いでは、薄毛の人は「ハゲ」と呼ばれ、背が低い人は「チビ」と呼ばれます。これは各々を笑いのネタにしています。
これが非難されることはあまりありません。
もしかしてクレームはあるのかもしれませんが、今回ほど問題にはなっていませんね。
当然ですが、薄毛や背の低さをコンプレックに感じている人もいます。そして、どちらも身体の問題なので、自分の努力次第でどうにかなる問題でもありません。
ゲイを笑いのネタにすると問題視され、薄毛や背の低さを笑いのネタにしても問題視されない。
この差は一体なんなのでしょうか。
私は、結局は認知度合いの差だと思います。
薄毛の人や背の低い人は、昔から認知されています。見た目でわかるからでしょう。
薄毛の人や背の低い人はたくさんいる、という認知が行き届いた先に笑いのネタがあります。
性的マイノリティーは、以前よりも認知度が上がったとは言え、認知度合いは、薄毛、背の低さのそれに比べてまだまだです。
上に書いた性的マイノリティーの人口に占める割合は、薄毛や背の低さと違って「見えない」ので、体感しにくい。
認知が行き届いていない。
◆
お笑いの中には、ハゲ、チビのように認知が行き届いたことを前提に、コンプレックスと思われるものをネタにすることは多々あるでしょう。
ボケ、ツッコミがあるという時点で、その類のネタが禁止されるはずもありません。
しかし、繰り返しますが性的マイノリティーは認知が行き届いていない。少なくとも、今回の騒動に発展してしまうくらい、認知は行き届いていないと言えます。
性的マイノリティーはもっともっと認知されていくべきだと思います。
ただ、果たしてハゲ、チビくらいまで認知されていくものなのか、その後ならば今回のようなことも問題視されないのかはわかりません。
それが道義上許されることなのかどうかもわかりません。