私の主観でしかありませんが、とてもアメリカっぽい条例だと感じました。
シンプルかつ大胆です。
日本でも少年法の問題は絶えません。あらゆる罰が、被害者の恨みを晴らすためではなく加害者の更生を考えて、というものでしたら、少年法は理屈に合ってます。
まだ残りの人生が長い少年ならば、更生するチャンスを与える方が社会全体の為になる、というロジックです。
しかし、それを盾にした犯罪もあるし、なんといっても被害者の気持ちが収まりません。
被害者の気持ち「のみ」優先すると、多くの加害者は極刑にしなくてはいけなくなり、それはあまりにも殺伐とした社会になります。
かといって加害者の更生ばかりも考えてられない。
この両方のバランスをとるのが司法の役目でしょうが、そのバランスが加害者優遇、被害者軽視に傾きすぎているという批判が多く、私もそう思います。
少なくとも、メディアの皆さんは、加害者のプライバシーは守って、被害者の写真はどんどん公表する、なんていう不公平はすぐにでもやめていただきたい。
冒頭に紹介した記事は、そのバランスがとれているかどうかわかりませんが、話だけ聞くと私は全うなものに思えます。
親の監督責任は拭えない、というのは一定の社会的理解を得られそうです。
しかし、あくまで統計ですが、犯罪を犯す少年の中には、家庭環境が複雑な子も多い。
犯罪を犯す少年の家庭環境が複雑、という割合は、少年全体に占めるその割合よりも高いことは統計で示されている、ということです。
そうなると、親を刑務所に入れるといっても、そう簡単にいかないことが多い。
その場合、少年本人に刑務所に行かせるか、これまで通り少年なので刑務所には行かせないか、どちらかになります。
そして、どちらであってもあまり良い方向に進むとは思えません。
刑務所に行かせるのは更生という意味で、刑務所に行かせないのは被害者軽視という意味で問題があります。
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罪と罰の問題は、死刑賛成、反対も含めて、私の中でも全くと言ってよいほど主張が定まっていません。
人間が社会、国家を形成する以上罪を犯す人間は絶対にいます。
罪とは社会ルールに反する行為を意味しますが、それが起こることは人間の多様性を表しているとも言えます。
多様性が社会の規範内なのかどうか、というボーダーにも多様性があるから難しい。
言葉遊びのようですが、「多様性は不要だ、という考えを多様性は受け止められるか」という問題は解決しないでしょう。