日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

5歳児が悪いかどうか、ではない

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子供を持つと、子供が絡んだニュースへの感度があがります。

このニュースも、子供がいるからこそ思うところがあるのでしょう。

 

子供が成長する上で、どのような人間性を形成していくかを、教育やしつけにすべてを要因付けるのは無理があります。

それは子育てをした親ならば必ずわかるはずです。

 

2人以上の子供がいる家庭で、各々が全く違った性格というのは珍しくありません。

同じ親から生まれ、限りなく近い環境で育ち、同じ親からしつけを受けているにも関わらず、です。

血がつながっているとは言え、顔も身体も違うので、性格や人間性だけが同じはずもありません。当然と言えば当然ですね。

 

人間は他の動物に比べると学習能力がかなり高い。知識などもそうですが、社会性や倫理といった高次元なことを学習できるのもどうやら人間だけのようです。

しかし、学習する前はやはり何もわかりません。子供はその部分がわからないから、社会に出ている時間が長い大人からそれらを学ぶわけです。

 

そういった意味では、大人が子供を教育するのは、社会を形成する上では当たり前で、教育の中に怒る、叱るというのが交じるのもおかしくはないと思います。

 

しかし、犯罪者が死刑にならずに刑に服す時間を国が用意しているのが「更生」の為というのと同じで、教育上怒ったり叱ったりすることは、あくまで教育のため、もっと砕いて言えばその子の将来を考えて、という理由だから許されるわけですね。

 

今回大声を出して怒ったボランティアの男性に、こういった考えはあったのでしょうか。

人は感情の生き物です。感情的になることはよくない、と言ったって感情的になることは避けられません。

一方、冷静になったときにそれを思い返すことも大切で、その省みが不健全な感情的行動を抑止する働きを助けてくれるのだと思います。

 

今回のニュースをみて、5才児が悪い、というネット上の意見に驚きました。

5歳児が悪いかどうか、はここでは問題ではありません。事実はわかりませんが、もし本当に5歳児の素行が悪かったとして、だったらこのボランティア男性の行動は許されるのか、ということです。

 

悪いことは悪い、当たり前です。悪いことをしたら怒られる、叱られる、それも当たり前です。それは大人になって悪いことをすると逮捕され前科がついたり、刑務所に入れられたりするのと同じです。

 

しかし、子供がやる悪いことは、まだわからない、もしくはどのくらい悪いか認識できていないからやることであって、それがやってはいけないことなんだよ、という意味で怒り、叱るべきです。罰ではなく、教育であるべきです。

 

PTSDになるくらいなので相当な大声だったのでしょうが、そこには感情的な行動以外は何も感じません。

子供は国の宝ですよ。

 

 

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