勉強という用語に対するイメージは、決して良くないのが現状でしょう。
本を読んでいるだけで、真面目だガリ勉だと冷やかされることがあります。
勉強に対するイメージはなぜこんなにも悪いのでしょうか。
新興国の子どもたちの中には、勉強することを切望している子もたくさんいます。
私は、その一番の原因はやはり教育だと考えます。特に初等教育。
人は基本的に遊ぶことが好きです。子供はもちろん、大人だって遊ぶのが好きです。
ところで、遊ぶという行為にはどんな事が含まれているのでしょうか。
もっと言えば、遊ぶという行為と勉強するという行為の明確な線引は可能でしょうか。
スマホ全盛の時代で、アプリを使って様々な事ができます。
アプリには、知育アプリと呼ばれるカテゴリが存在します。名前の通り、知識を育むアプリです。これはまさに勉強と同義です。
私の娘が最近ハマっているアプリは、混ぜたら何色になるかを当てるアプリ。
これはもうほとんどゲームです。クイズですね。
このゲームをやったら、色の知識がつくわけです。
これが勉強ですよね?
「遊んでばっかりじゃなくて、勉強しなさい!」とは教育ママの決め台詞ですが、遊んで勉強になるのならばOKでしょう?
しかし、どうも日本の教育において、勉強は遊びの対極にあるものとみなしている様に思います。
知育アプリで勉強というのは、いわゆる普通の勉強とは違う、と思われていませんか?
他にもあります。
以前にも当ブログで紹介しましたが、桃太郎電鉄というゲームをやりまくった人は、地理にとても強い。すごろくで全国をまわり、土地の名産や物件を買うので詳しくなるのは当たり前です。
これは勉強とちがいますか?
私は、日本人が大人になって勉強しない理由は、そもそも勉強が嫌なこと、辛いことだというイメージが強いからだと思います。
私は音楽の世界ですが、ギターの弾き方を覚えたり、曲の作り方を研究したりするのは間違いなく勉強です。
勉強嫌いが音楽方面に行く、なんて言われますが断じて違います。好きな勉強が違うだけです。
音楽だけではありません。スポーツだって料理だって、勉強して知識やスキルを磨くことに違いはありません。
勉強という用語が悪いイメージを持ったまま独り歩きしている状態だと感じます。
私は勉強が好きです。役に立つかどうかよりも先に、知らないことを知ること、わからないことをわかるようになること、そういったことに喜びを感じます。
勉強という用語の悪いイメージが払拭されれば、だいぶ勉強嫌いも解消されるのではないでしょうか。