日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

思い出の「濃さ」

https://www.daily.co.jp/gossip/2018/01/10/0010883681.shtml

大変な事になってますね。被害にあわれた新成人の方々のお気持ちをお察し致します。 業者の方は隠れずに、しっかりと誠意ある対応をしてほしい。

それはさておき。

私は成人式に出席していません。当時は「そんなイベント興味ねーよ」と言ったひねくれた考えも多少はありましたが、それよりもなによりも、とくかく貧乏すぎたのです。

貧乏だと、ちゃんとした服は用意できません。それから、当時から実家を出て一人暮らしをしていたのですが、実家と行き来する交通費も捻出できませんでした。 さらにさらに、当時はアルバイトをしていて、もし成人式に出るならばその日休まないといけなくなり、その分の給料がなくなります。

中学から地元とは違う学校に通学していたので、地元にいる昔からの友人という人があまりいない、ということも背景にはあったのですが、そんな色々な理由があって欠席と相成りました。

別に今でも、「あの頃成人式に出られなかったのは悔しいな」といったことは特に思いません。 ただ思うのは、お金がなくて成人式に出られなかった、という思い出は結構「濃い」ということです。

これは何かにつけて思うことですが、濃い思い出って普通じゃないことばかりじゃないですか?

例えばある旅行に行って、数年後に濃い思い出として残っていることは、景勝地に感動したこともあるでしょうが、その時に財布を落としてめちゃくちゃ焦ったとか、土砂降りでずぶ濡れになって風邪ひいたこととかもありますよね。

成人式に参加するにあたって、ここぞとばかりに高級な服を用意するのは、普通じゃなさ(非日常)を求めているからではないでしょうか。 今年は荒れた成人式の話題は聞きませんでしたが、あれもその日をできるだけ普通じゃない日にしたいという欲が負の方向に働いた結果という見方もできると思います(もちろん、それはNG行為ですよ)。

ところで、普通じゃなさって、お金をかけずに、荒らさずに実現できることもいっぱいあります。 そして、今回はそれが不可抗力でもたらされたわけです。もちろんあまり良くないカタチで、です。

決して誤解してほしくないのですが、だから今回のことも濃い思い出になるからOK、と言いたいわけではありません。実際に大きな損害が出ているので、そんな悠長なことは言ってられません。 私が成人式に出られなかったことと同じだ、と言いたいわけでもありません。

ただ、10年後に今回被害にあった方が、自分の成人式を思い出す時には、この騒動が思い出を濃くしてくれることは間違いないと思います。

ちゃんと捜査や処理はしてほしいのですが、被害にあった方が出来ることは限られています。

「私の成人式の時、振り袖業者が雲隠れして振り袖着れなかったんよ〜!!」 今回の騒動による心の傷を時間が解決してくれた後には、濃い思い出が残ってくれたらな、と思います。

これだけの大きな騒動になったのならば、 「あ〜!あの時振り袖着れなかった人なんだ〜」 と周囲から言ってもらえる確率は高い。