何度となく当ブログでは、私の仲間の1人が先日の豪雨で家が流されたことを伝えてきました。 現在は市営のアパートを役所が用意してくれて、そこに住んでいます。 こういうサービスを当然と思ってはいけません。こういうときにちゃんと市民を助けてくれる国で良かった、と改めて思うべきだと思います。
さて、今回は200名を超える死者が出ました。怪我人や行方不明者を合わせるともっと大きな数字になります。 とはいえ、日本人全体からすると1%にも満たない数字です。 つまり、日本人のほとんどは今回の災害の直接被害者ではないわけです。
そのほとんどの日本人が直接被害を受けなかった人としてできることは何なんでしょうか。
ボランティア活動や物資の支援、義援金送金などは、できることの一つです。 現実的な生活に困っている被災者に千羽鶴や寄せ書きを送るという行為もあり、それはやめてほしいなと思いますが、直接役に立つもの(多分それはお金です)を送るのは確実に被災者の為になります。
しかし、お金がない人もたくさんいます。日々ギリギリの生活をしている人にとっては、被災者の方々の為になりたいと願っても、実際に出すお金がない、ということになります。 そういったやりきれない思いを抱いている人にできることがあります。
それは、普段通りに生活することです。
社会人ともなれば、ほとんどの人が働いています。働いているということは、その分必ず税金を納めています。 社会人でなくても、何かしらの買い物はするはずです。全ての売買には消費税が発生します。 税金を納めるというのは、そのお金が国や地方自治体に行く、ということを意味しています。
今回のような災害が起きたときに、すぐに助けに行くことができる消防やレスキュー、自衛隊の方々。 それから、仮住まいするための場所の確保。 これらはすべて税金で賄われます。私達が納めた税金で、です。
これが支援でなくてなんなんでしょうか。
今回の被害を見て、比較的近くに住んでいる私はボランティアへ行こうかとも考えました。 しかし、決して力自慢なわけでもないし、サバイバルに長けているわけでもない自分が行ってできることなんてたかがしれているでしょう。 いや、それでも行く意味はあると思いますし、実際に行っている人は素晴らしいと思います。
しかし、私はそこに直接かけつけるよりもこれまでと同じ生活をし、しっかり働いて、という日々を過ごすという選択をしました。 これは人によります。何も自分の選択が万人に当てはまるとは思いません。
ただ、被災された方々のためになにかしたい、でも何もできない、と思っているひとは、これまでの生活と同じ日々を粛々と続けることだって十分に支援になっているのだ、ということに気づいてもらいたい。
それに、周りの人々が平穏な生活をしている、という現実が被災者の方々にも感染して、やがて平穏な日々を取り戻す、という側面もあるのではないでしょうか。