こんなことが起こるなんて、とは思いません。
当然の現象だという印象です。
本文から引用します。
学校現場は「見破る方法がなく注意できない」「子供のためにならない」と戸惑う。
これに対して、思うことがあります。
子供のためにならない、とありますが、親が宿題よりも受験勉強の方に専念させたくて宿題代行業者に依頼しているのなら、それが子供のためになると親が判断しているわけですね。
つまり学校の宿題よりも受験勉強のほうが子供のためになる、と。
子供のためになるかどうかを判断するのは学校なのか、親なのか、ということです。
女性教諭は「宿題は本来、子供の学力向上や学習習慣をつけるためのもの。大人がやってしまえば成長のチャンスを奪うことになり、忍耐強さも身につかない」と憤る。
受験勉強の方が、学習習慣も忍耐強さも身につく気がするのは私だけでしょうか。
もう一つ、これは学校も親もそうですが、本当に子供のためになるかどうか、を考えているか、ということです。
それは、机の上で勉強するのが将来のためになる、という固定概念に成り下がっていないのでしょうか。
学校は、宿題をやるのが子供のため、親は、受験勉強が子供のため、と考えます。
でも、例えば読書感想文を書くのって本当に役に立つんですか?大人になって読書感想文を書ける能力がなくて困っている人に会ったことありますか?
ちなみにAmazonなどで売ってある書籍のレビューは感想文にあたりますが、あれは強制でもなんでもありません。
不思議なもので、勉強や宿題として読書感想文を書け、と言われたらなかなかやらないのに、Amazonのレビューは自らやる人がたくさんいるわけです。
正直言ってしまうと、読書感想文なんて強制されて書くものではありませんよ。
読書好きの自分としては、本離れは文化衰退につながると危惧していますが、本離れは読書感想文なんてものを強制されることにより本自体が嫌いになるから起こるんだ、なんて思っています。
まあこれは単なる自分のボヤキですが、実際に私は学生時代に読書感想文を書いて何かを学んだという実感は1mmもありません。昔から本好きであるにも関わらず、です。
読書感想文以外もそうです。学校や親が子供のため、と思っていることは、つまり優等生的な何かばかりです。
難しいゲームをクリアしても、それが子供のためと思う人はほとんどいません。
確かにゲームばかりしていたら将来困る、とは思います。
しかし、勉強ばかりしていてもやっぱり困ります。
教育は国家100年の計です。教育関係者は本当にしっかり考えて行ってほしいものです。