小学校の頃、国語の授業では読書感想文を書くという課題がありました。
多分今でもありますよね?
私はあれが嫌で嫌でしかたありませんでした。
小学生の頃は、なぜそんなに嫌だったのかなんて考えておらず、ただただ嫌だったというだけですが、今振り返ってみると、嫌だったのは読書感想文を書くことではなく、それを先生や人に伝える際に、摩擦が起きることが多かったことに原因があるようです。
違いではなく、摩擦だったこと、つまり私の感想を否定された経験が少なからずあります。
不思議な話ですよね。本を読んでの感想にルールはありません。
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先日ある映画を知人と見に行きました。
その映画は世界的に有名な作品で、見たことがない人はいても知らない人は殆どいません。
映画を観終わった後、喫茶店で観てきた映画の話をしましたが、私の感想はさておき、その知人の最初の感想が面白かったのです。
「本当にすごい音作りだ。あんな音作り、どうやってするんだ・・」
なんと、映画のストーリーではなく、挿入歌でもなく、音作りが第一感想です。
というのも、実はこの知人、日本でもトップクラスのレコーディングエンジニアです。
職業からすると、納得の感想です。
さて、この感想はいわゆる一般的な感想ではありませんよね。
でも、私は面白いと思ったし、興味深いとも思いました。
少なくとも、問題はなにもありません。
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読書は幼少期から今までずっと続けてきました。
上にも書いたように、課題として感想文を書くことを強要された時以外には、感想文なんて書いたことがありませんでした。
時代がすすみ、インターネットが普及し、いまは読書家にとってもおもしろいサイトがあります。
私は読書メーターというサイトをつかっていますが、このサイトでは、自分の読んだ作品を登録すれば、似たような傾向の読書家を探すことができます。
その機能が魅力的で使い始めたのですが、SNSのような様相もあり、つまり公開設定になっている他人の感想やレビューを、タイムライン的に読むことができます。
ということで、わたしも軽い気持ちで読み終わった本の感想を書き始めましたが、意外と「ナイス」をもらえたりコメントをもらえたりするのは愉しい。
皮肉なもので、小学校のころ課題でやれと言われていた時は嫌だったことを、今は自ら愉しんでやっているのです。
その違いは、強要されているかどうか。それから書く感想に傾向を求められないし、何文字以上書け、という条件もない、というところです(システム上、何文字以下という制約はありますが、これはしかたありませんね・・)。
考えてみれば、小学生の頃は日記を書きなさいと言われることもあり、自分もふくめた周りの友達は、面倒くさいなぁ、と思っていたにも関わらず、今は義務でもないのにフェイスブックに記事を投稿したり、ブログを書いたりする人も多くいますね。
教育って難しいですね。