人はみな違う。
顔も身長も、もちろん指紋も違う。
だから、当然各々の生まれつき持った能力、才能も違う。
どんな分野においての才能も、みんな違う。
みんな出来るのに、なぜあなたはできないの?という質問には、回答しようがないことも多い。
なぜあなたは身長が低いの?という質問に対する回答と同じように、そう生まれてきたから、としか言えないのだ。
(能力が低いことを正当化できないことも多々ある)
しかし、人は才能は変えることはできないが、能力は変えることができる。
練習や鍛錬でその能力を伸ばすことができる。
才能あふれる優秀な人のことを天才と呼ぶが、一般的に使われている天才という言葉は、才能+練習や鍛錬で伸ばした能力の和が平均値よりもはるかに高い人のことを指す。
では、才能があるのに練習や鍛錬をあまりしない人と、才能はないのに練習や鍛錬をしっかりした人ならば、最終的な能力がどちらが上だろうか。
これも様々な分野があるのでもちろん一概には言えないが、少なくとも音楽の世界では、後者が上回る事が多い。
単純に考えて、生まれつき持った才能値が、長い時間をかけた練習や鍛錬の末に積み上げられた能力より、最初から上というのは考えにくい。
重ねていうが、音楽も才能にはかなりの差がある。
音楽といっても中身が細かくあるが、音感が生まれつきとても良い人もいれば、楽器演奏の技術習得が異常に早い人もいる。
しかし、これも音楽の世界ではあるあるだが、才能ある人が、後に、才能がないけれども練習や鍛錬を積み重ねた人に追い抜かされる、といったことはいくらでも見てきた。
自分はこういったことを踏まえて、最も有用な才能とは、「継続力」だと思っている。
続けることは本当に難しい。
音楽に関して言えば、20歳くらいで音楽をするのと、40歳くらいで音楽をするのは、やり易さに相当の差があるのだ。
それでも続けられるのは、いろいろな要因があるとは言え、つまるところの「継続」できるかどうか。
そして、この能力にも先天的な能力があるのかもしれない。
同じく、後天的に伸ばせる能力だとも言えるかもしれない。
継続は力なり、まさにその通りだと思う。
石の上にも三年、これも自分は正しいと思う。
継続が自発的なものならば、周りに何を言われても、迷惑をかけない限り続ける事「だけ」が、その能力を限界まで引き上げる最低条件だ。
効率も、運も、そして才能も必要かもしれない。
しかし、継続はそれらよりも最も有用な能力だ。