聞いたことがあるかもしれない。
音楽にかぎらず、身の回りにある音の音程をすぐに判別できる、というあれだ。
ミュージシャンとしての活動をしたことがあるひとならば、その言葉を聞く機会はさらに増える。
絶対音感がない人にとっては、救急車の音が何の音かがわかるというのは、ほとんどマジックに近い、という扱いだ。
いわば「透視」なんかに近い捉え方をされる。
加えて、絶対音感を身につけるための年齢には上限があり、それ以上の年齢から鍛えても身につくことはない、ということも、世間ではまことしやかにささやかれているので、その能力に対するあこがれが一層増す。
しかし、ことPOPSにおける音楽関係者のなかでは、絶対音感がミュージシャンの必要条件ではない。
絶対音感があるのは能力としては良いことだが、逆にそれがあるがために損している残念な人もいる。
それは、「絶対音感があるから音楽的に優れている」という固定観念からくる優越感が、スキルアップの可能性を狭める作用をしている人において言える。
そして、この類の人はとてもとても多い。
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実は自分は絶対音感を持っている。
絶対音感といっても、実はそのレベルが無段階にあり、自分の場合は救急車の音がすぐにわかる、というレベルではない。
しかし、巷で流れている音楽ならば、メロディーにおいても、コードにおいても、聞いて1秒以内には音名やコード名が判別できる。
精度は、これは絶対音感をもっている人ならばわかると思うが、まず間違うことは無い精度と言って差し支えないだろう。
これを聞いたら、「ほらやっぱりその能力がない人より音楽的に優れているじゃないか」と思う人も多いだろう。
しかし、音感には絶対音感ともう一つ、相対音感というものがある。
そして、実は音楽において必要条件なのは相対音感。
絶対音感を持っていれば、それは相対音感をもっていることにもなるのだが、絶対音感の能力レベルまでは必要ない、ということだ。
必要なくとも、持っていて損はない?
その通りだ。
しかし、実は絶対音感を持っている人には、もっと別次元でのデメリットがある。
それが上述した「優越感」だ。
正直言うと、絶対音感を持っている人は意外に多い。
意外に多いということは、その能力だけで他の人よりも秀でることは無理だということだ。
そして、少なくとも音楽において必要な能力は相対音感までで、その能力は訓練すれば何歳でも身につくので、努力すれば同等の価値をもった音楽的能力を身につけることができる。
そうなると、より絶対音感の持ち主のアドバンテージは実質失くなる。
にも関わらず、絶対音感を持っている人は、この優越感を持ち続けてしまう人が多い。
相対音感を鍛え、その音楽的能力を持ち合わせているところがスタート地点だ。
つまり、スタート地点に到達するまでの長さや注ぎ込むエネルギーには差があるが、それ以降は同じ道を辿る。
しかし、自動車も人のモチベーションもスタートがもっともエネルギーを要するもので、スタート地点にさほど努力をせずに立っている人は、スタート地点に努力してたどり着いた人に、スタート地点からの初速で劣る。
いささか観念的な表現だが、実際にそういった人を多く見てきた。
端的に言えば、才能がある人を才能がない人が能力で追い越す場面だ。
そして、この能力の順位は、一度追い抜かれると、ほとんどの場合逆転されない。
漠然とした根拠と、経験を併せて、そう感じる。
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繰り返すが、絶対音感があることは素晴らしいことに違いない。
しかし、それを「たかが絶対音感」と心底思えたら次のステップに進める。
絶対音感がない人が、相対音感を身につけるために醸成するハングリー精神と同じくらいの気持ちを、絶対音感がある人が持ち続けることは、どうやら至難の業のようだ。