音楽に限らないと思いますが、その道のプロを目指そうと思えば、それ相応の能力を求められます。
能力は、最初から備わっている能力=才能に、後に鍛錬で身につけた能力の和です。
才能だけでプロレベルという人は本当にごくごくまれにしかいないもので、多かれ少なかれやはり鍛錬をすることになりますね。
音楽を目指す若者を見て、さらに自分の経験も交えると、能力向上の壁になるのは自分自身です。
敵は自分の中にいる、とはよく言われることですが、本当にそうだと思うのです。
経験で申し訳ないのですが、私の場合。
幼少期からピアノを習っていたこともあり、高校から始めたギターは、同時期にギターを始めた友人たちよりも明らかにうまくなるのが早く、一目おかれる存在でした。
そうはいっても、高校は普通科、つまり特に音楽を専攻した人間が集まる場所というわけではないので、周りに「うまいね」と言われても、特に図に乗ることはありませんでした。
その当時は、毎日10時間くらいはギターを弾いていたと思いますが、それは練習や努力というよりは、ただひたすらうまくなりたいという気持ちだけだったと思います。
裏を返せば、自分はまだまだ下手だ、と思っていたわけです。
それも考えてみれば当然です。
ありとあらゆる曲をコピーするのが日課でしたが、コピー元で弾いているのは、みんな第一線のプロギタリストばかりです。
そのギターに比べたら自分なんて下手に決まってます。
また、当時は音の粒をそろえるコンプレッサーなど、エフェクター類の知識もないので、ただひたすら人力で音の粒をそろえようとしていました。
コンプレッサーを使ったときほど粒がそろうはずもなく、俺はまだまだだな、と思わざるを得なかったわけです。
数年後、大学の軽音サークルに入ります。
高校の時になんとなく音楽を始めた友人は周りにいましたが、大学のサークルともなるとレベルが全然違います。
プロはいませんでしたが、プロ志向の人はたくさんいたし、目指すに値する能力の持ち主もいました。
しかし、そこでも私は「うまいね」とほめられたのです。
はっきり覚えていますが、その時を境に私の能力向上速度は明らかに落ちました。
高校時代に思っていた「自分はまだまだだ」という気持ちはあるのですが、どこかに「おれは結構うまい方なのか」という気持ちも生まれるわけです。
上に書いた壁とは、これのことです。
人にほめられて、ほめられていないときと同じストイックさを保つのは本当に難しいものです。
私の経験以外でも、たくさんそういった例を見ました。
例えばある若手のプロ志向ベーシスト。地元においては、その世代を代表するベーシストとしての知名度を誇っているらしく、確かに上手でした。
しかし、地元、その世代という限定された中でほめられても、プロとしては通用しません。
そして、ほめられているときにストイックになれる人は、それこそごく僅かです。
それからもう10年は経過していますが、その若者はプロにはなれていませんし、プロを目指すというスタンスからも遠ざかりつつあります。
もしプロを目指している最中に周りからほめられたら、その環境からできるだけ早く身を引いたほうが良いと思います。
能力向上速度は若いほうが上なので、その貴重な向上期間を、ほめられる環境に身を置くことによってダメにするのは、あまりにももったいない。
地元のミュージシャン間、音楽専門学校内などでほめられても、はっきり言いますがプロ全体からすると大したものではありません。
プロ並みにうまい、という言葉にも注意です。
プロ並みとプロは全然違います。
プロに、プロ並みにうまいですね、と言うと多分しばかれます・・・
どうせほめられるのならば、何万人という観客のまえで歓声を浴びる、というほめられかたの方が魅力的だと思いませんか?