kaigyou-turezure.hatenablog.jp
最初は、私も坂上さんと同じ意見でした。
全員を平等に救うことはできませんが、かといって全く援助をしない、というのもいかがなものかと。
前澤社長のこういった行動に触発されて、同じようなことをする人だって出てくるかもしれない。
だとすれば、その可能性を信じてこういう行動を肯定的にみるのは、ありじゃないか
、と思っていました。
しかし、やはり無知は怖いものです。
移植医療の世界、そして日本の現状を考えると、もっと別の援助の仕方のほうが良いのかもしれません。
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大きなことを言っちゃいますが、国家単位でも個人という単位でも、世の中は不平等です。
平等を過度に求めすぎると、先天的な病気を持って生まれた人への援助もNGになっちゃいます。
平等ではなく、公平を目指す社会であってほしいと私は思います。
経済力に乏しい人には、経済力がある人からお金が緩やかに流れるような枠組みを作り、幸福度が最も高い人と最も低い人の差を「あんまり」開かないようにすることです。
「あんまり」というのが難しいのですが、これを揃えるのが理想となると、共産主義になります。
共産主義が立ち行かなくなっているのは理屈ではなく歴史が証明しています。
繰り返しますが、公平さを実現する第一歩はつまり、お金持ちだけが幸せになる、という枠組みを緩める、ということになります。
冒頭の記事にある、「移植は基本国内で」というスタンスは、国家間の不平等さを受け入れ、公平を目指すための指針だと思います。
よくよく考えてみたら当然かもしれません。
現実では逆ですが、例えば日本にもドナーが足りていない状況で(ここは現実通りです)、アメリカ、その他海外から移植患者が日本に押し寄せて、日本のドナーを奪っていったら、理不尽さを感じます。
ドナーが十分に足りていればよいのですが、実際は日本も、アメリカですら足りていないわけです。
同じようにドナーが足りていないのなら、そこは公平に、各々の国で解決する努力をするように、となるのは自然です。
難しいのは、やっぱり人命がからんでいることです。
実際に自分の家族や大切な人が、お金さえ出せば海外で移植手術を受けられ、命が助かる、と聞けば迷う余地はなくなります。
一方、その行動の影には、そのドナーの提供を受けられずに命を落とす人もいる、という悲しい現実があります。
だから、当事者に寄り添おうと思っても、その立場によって正義が違うので、平行線をたどることになります。
どうしても俯瞰的な意見が必要になりますね。
この記事でも書いてありますが。そんな救いのなさそうな状況の中で、私たちができることはドナー登録です。
問題の根本は、ドナーが足りないことなので、シンプルな解決策です。
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募金でも資産でも、とにかくお金さえ集めれば移植手術が受けられる。
国家間の問題や生命の問題が関わると、こんな単純な理屈は通用しない、ということを痛感した記事でした。
記事にある、政治家になるための立候補条件にドナー登録を加えるのは、名案だと思います。
ダイレクトに命に直結する問題だから、真剣に検討してほしいと思います。