現場で体張っている人間と、運営をしている人間には、かならず違いが生まれます。
違う立場の人間が必要なんです。
ただ、大切なのは、最終目標を何にしているのか、ということに関しては合意がないといけない、ということです。
完全合意でなくとも、歩み寄りの末妥協点を見つける、ということが必要です。
つまり、最終目標への手段、方法が違うのでディスカッションが必要なんです。
最終目標が違ったら、成立しません。
佐々木投手を起用しなかった問題に関して、
監督=運営側
(佐々木)選手=現場
とみなします。
ここで意見が食い違うのは必然です。
上に書いたように、大切なのは、最終目標がなにか、です。
甲子園に出ることなのか、プロ野球に入ることなのか。
ただ、この件に関して少し注意が必要なのは、選手が未成年なので、経験から先を見通せる力はまだない、ということです。
そして、若さ故に、感情に流されやすい(ちなみに、これが若さの最大の武器です)。
だから、周りの大人が冷静になる必要があります。
これは、ボクシングで言うところの選手とセコンドに近いものがあります。
試合中、戦っている選手がどれだけ戦う意志を見せても、セコンドがタオルを投げたら終了です。
試合でヒートアップしている時に、選手が冷静な判断をするのは難しく、その勢いで選手生命が絶たれるようなことがあってはならないから、冷静に判断できるであろうセコンドに権限を委ねているのです。
腕が使えなくなっても、甲子園に行きたい、投げたい。
闘志に燃えている選手ならば、そういう選択することもあります。
でも、それによって、その才能の使いみちが高校で終わっても良いのか、ということを考えられるのは監督です。
本当の目標はなんなのか。
それは周りの人間がとやかく言うことではありません。
選手自身と、その管理者である監督で決めることです。
上にも書いたように、自己責任という名のもとに、選手自身のみに選択権を与えるには、若すぎます。
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そもそもスポーツとはなんのためにやっているのか、を考えてほしいと思います。
健康は、その目的の一つです。
怪我を怖がらないことがスポーツを資格の一つなんて、スポーツの目的に著しく反していると思います。
もちろん、実際には怪我を怖がらずにプレイしなくてはいけない局面はあります。
それを赤の他人(つまり張本氏)が言うところがおかしい、と思うのです。