『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』 不都合な真実から目を背ける人たち - HONZ
国会のような正式な場での議論はさておき、知人との話で議論が噛み合わないことって結構あります。
主張が違うのではなく、噛み合わない。
上に紹介した本はまだ読んでいないのですが、タイトルだけで、「これこれ」と思ってしまいます。
あの時に出たフレーズが「安全と安心は違う」というもの。
語呂的にも言いやすいのですが、核心をついているフレーズだと思います。
いくら事実や統計で安全と示されたところで、安心はしない、ということですね。
私がこういう時にいつも出す例が、車と飛行機です。
車と飛行機は、統計上車の方が圧倒的に危険です。なんといっても年間4000人弱が死亡、約5万人が怪我をしています。
旅客機による事故で今年亡くなった人はいません。
それでも、飛行機が怖くてクルマはなんともない、という人は多い。
安心は心の問題なので、事実や統計とは関係ないのかもしれません。
でも、事実や統計を心で受け入れようという努力はするべきではないでしょうか。
現在の福島の安全性を、事実や統計でどれだけ証明しても、安心ではないと言い続ける人がいると、その被害は最も守られるべき被災者に降りかかります。
そもそも、安心が安全で得られないのならば、人はどうやって安心を得られるのでしょうか。
心の問題とはいえ、安心を得られる唯一の要因が、安全とそれにつながる事実や統計でしょう。
車と飛行機のどちらが怖いか、というのは、別にどっちだって構いません。
しかし、豊洲移転や福島の問題となると「あーそう」では済まされません。
人々の生活や命がかかっています。
それから導き出される事実の精度も上がります。
幸せのためにテクノロジーを発達させても、人や社会がそれに後ろ向きだと、幸せは遠のきます。
救える人が救えない、ということです。
事実や統計を受け止める癖を身に付けておきたいものです。