日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

親が感情的に怒るとどうなるか

私の父親は、とてもとても厳しい父親でした。

口下手で、すぐに手が出る。

殴る蹴るは当たり前でした。

 

普段から暴力的な父親ということではありません。

母親や姉に対しては手を上げたことは一度もありません。

男は多少(多ばかりですが・・・)暴力にも慣れていないとだめだ、という教育理念があったのかもしれません。

 

といっても、実際に手を上げているときは、感情的になってやってるんですけどね。

 

自分も人の親になりましたが、時代背景もあるし、性格も父とは結構違うのもあって、子供には一切手をあげないし、感情的になることもありません。

叱るときは叱りますが、ちゃんと言い聞かせるようにしています。

 

そんな私が、幼少期に父親に感情的に怒られすぎたことが原因で、短所になっていると感じることがあります。

 

それは、判断基準が「相手が良いと思うかどうか」になるということです。

 

何かをしでかして、ガーンと怒られるときは、はやくおさまってほしいからひたすら謝ります。

殴られるのは大人も子供も嫌でしょう?

どうやったら許してもらえるか、が最優先事項です。

これが唯一の判断基準になるんです。

 

でも、この判断基準には、自分の意見がありません。

相手依存100%です。

 

大人になってバイトなんかで仕事をするときは、上司に「どうやったら迷惑をかけないか、怒られないか」ということをまず考えるのが癖になってました。

 

それがサービス業だったら、上司の顔色を伺うことよりお客さんの方が優先なのに、上司の優先度が上回るのです。

 

これは、幼少期からの思考パターンなので、変えるのに相当のエネルギーが必要ですし、今でもそういった傾向はあります。

 

人をあたまこなしに怒るというのは、その人が思考停止に向かうということです。

「口答えするな!」と部下を怒る上司もいますが、それは冷静に考えたら、意見を持つな、言うことに従っているだけで良い、という意味です。

そういう上司は、別の機会には「ちゃんと考えろ」なんて言うんですよね。

どうしろと、、、

 

 

いろんな人と出会い、いろんな本を読んで勉強し、自分の頭で考えて行動することと、協調性をもつことは共存できる、ということがわかりました。

でも、今でも油断すると、相手がどう思うかばかり考えてしまいます。

これは理屈でなく、脳の奥の方が命令を出している思考パターンみたいなもので、なかなか覆らないのです。

 

幼少期の子供への接し方は、このように人の一生を揺るがします。

良くも悪くも、です。

 

私はそれを、身をもって感じます。

 

自分の子供に、ちゃんと考えられる人間になってほしいのならば、考える時間や空気を奪う行為だけはしないようにしましょう。