私の父親は、とてもとても厳しい父親でした。
口下手で、すぐに手が出る。
殴る蹴るは当たり前でした。
普段から暴力的な父親ということではありません。
母親や姉に対しては手を上げたことは一度もありません。
男は多少(多ばかりですが・・・)暴力にも慣れていないとだめだ、という教育理念があったのかもしれません。
といっても、実際に手を上げているときは、感情的になってやってるんですけどね。
自分も人の親になりましたが、時代背景もあるし、性格も父とは結構違うのもあって、子供には一切手をあげないし、感情的になることもありません。
叱るときは叱りますが、ちゃんと言い聞かせるようにしています。
そんな私が、幼少期に父親に感情的に怒られすぎたことが原因で、短所になっていると感じることがあります。
それは、判断基準が「相手が良いと思うかどうか」になるということです。
何かをしでかして、ガーンと怒られるときは、はやくおさまってほしいからひたすら謝ります。
殴られるのは大人も子供も嫌でしょう?
どうやったら許してもらえるか、が最優先事項です。
これが唯一の判断基準になるんです。
でも、この判断基準には、自分の意見がありません。
相手依存100%です。
大人になってバイトなんかで仕事をするときは、上司に「どうやったら迷惑をかけないか、怒られないか」ということをまず考えるのが癖になってました。
それがサービス業だったら、上司の顔色を伺うことよりお客さんの方が優先なのに、上司の優先度が上回るのです。
これは、幼少期からの思考パターンなので、変えるのに相当のエネルギーが必要ですし、今でもそういった傾向はあります。
人をあたまこなしに怒るというのは、その人が思考停止に向かうということです。
「口答えするな!」と部下を怒る上司もいますが、それは冷静に考えたら、意見を持つな、言うことに従っているだけで良い、という意味です。
そういう上司は、別の機会には「ちゃんと考えろ」なんて言うんですよね。
どうしろと、、、
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いろんな人と出会い、いろんな本を読んで勉強し、自分の頭で考えて行動することと、協調性をもつことは共存できる、ということがわかりました。
でも、今でも油断すると、相手がどう思うかばかり考えてしまいます。
これは理屈でなく、脳の奥の方が命令を出している思考パターンみたいなもので、なかなか覆らないのです。
幼少期の子供への接し方は、このように人の一生を揺るがします。
良くも悪くも、です。
私はそれを、身をもって感じます。
自分の子供に、ちゃんと考えられる人間になってほしいのならば、考える時間や空気を奪う行為だけはしないようにしましょう。