珍しく(?)ワイドショー的な話題をきっかけに投稿してみます。
この件が、ダウンタウンの松ちゃんが出演するワイドナショーで取り上げられました。
この中での、ピアニスト清塚さんの発言。
内容はおおまかにこんな感じです。
「私も幼少期から母親に厳しくやられました。毎朝5時から12時間ピアノ練習、学校の勉強は一切しなくてよい、ピアノがうまく弾けないなら生きていかなくて良い、そんなことまで言われたこともある」
ものすごいですね・・・
さらに続き
「自分の子供にも、そのくらい厳し目にやることが愛情を注ぐということではないか、と思ってしまう。
でも、絶対そうはなりたくなかったので、厳しくしていない」
◆
私は清塚さんには程遠いですが、かなり厳しい父親に育てられました。
父は仕事で平日はあまり家にいなかったのですが、週末は家にいて、暴力は当たり前、だから週末が憂鬱でした。
怒られた理由は色々ありますが、その大半はなぜ怒られたのかわからないものです。
ひたすら謝るしかありません。
理由もわからずに、怒られるのがいや、というだけで謝る。
辛い思い出です。
そして、私も清塚さんと同じく、理不尽もいやだし暴力も嫌だったので、自分の子供にはアタマこなしな言い方はしないように心がけています。
感情的になろうとしても、ぐっとこらえます。
暴力も一切ふるいません。
世間には、感情的に怒ることも必要、という人もいます。
その理由は、感情的に怒ってくる人にも世の中にはたくさんいるから、というものですが、私には納得いきません。
世間には暴力的な人間もいるし、暴力を振るわれる可能性もあるから、親も子に対してある程度暴力をふるっとかないと、という考えてと同じです。
世の中から悪人が完全にいなくなるわけないのだから、この理屈を使えば、どんな躾だって正当化できちゃいます。
清塚さんが母親から受けた躾は、少なくとも現代においてはNGです。
そして、清塚さん自身は自分が受けたその躾をそのまま子供にしてはいません。
なぜでしょうか。
そこは生きていく上で考えた結果です。
私も(おこがましいですが)似ていると感じます。
父親から受けた躾は、現代では決して許されるものではありません。
でも、だからこそどういう躾をするべきかを自分で考えるしかありませんでした。
親が自分にしてきた躾に疑問を感じるからこそ、親という立場になった今、自分で考えざるを得ないのです。
◆
自分が親になって思うこと。
それは、自分の両親が自分を育ててたときって、何もわからない状態でなんとかやっていたのだろうな、ということです。
小さい頃は、親ってなんでも知ってる、なんでもできると思っていました。
流石にある程度の年令になると、知らないこと、できないことがあることはわかってきます。
でも、実際に親という立場になったら、親・初体験ということを感じまくります。
今は情報が簡単に手に入りますが、昔は今よりもさらに大変だったことでしょう。
何が正解かわからないまま、多分こうだろう、の連続。
だから、あとから振り返って、あれは間違っていたな、と思うことなんて山ほどあります。
でも、多分それは避けられません。
私が大切だと思うのは、だからこそ自分で考えるアタマを持つことです。
欠点がない人間はいません。
特に子供にとって、人格形成に色濃い影響を与える親は、一歩間違えると絶対的な存在になります。
そりゃそうです、法律もしらない、社会もしらない、そんな中での考え方の基準が親になるのは必然です。
だから親は責任が重い。
でも、その責任を果たすためにすることは、間違っていることを教えちゃいけない、と気をつけることではなく、人は誰だって、そう親だって間違うことがあるんだ、ということをちゃんと教えること。
私はそう思いながら、今日も子供と向き合っています。