佐々木さんが出てる回のアベプラは面白い!
さておき。
教育には以前から関心がありますので、私の意見を。
この中で本田氏が述べている、
「先にゴールを見せて教育すべき」
というところです。
私は少し意見が違います。
日本ではかけ算の九九を小学2年生で学びますね。
算数、つまり論理の基本のきである数学ですが、かけ算九九は完全に丸暗記です。
小学2年生に「なんで九九覚えないといけないの?」と聞かれたら、なんと答えますか?そこに、小学2年生でも納得いくゴールを示せますか?
九九なら日々の生活で役に立つこともあるし、実際ほとんどの大人が覚えているので、実用性や覚えている人の割合という意味からゴールを示せるかもしれません。
じゃあもう一歩進んで、ひっ算はどうでしょう。
大人になって、ひっ算を使うことってどのくらいありますか?
ひっ算が使えなくて困ることってありますか?
多分ありませんよね。
仕事中に何かの計算をするとき、紙にひっ算を書いて計算していたら、上司から怒られますよ、電卓使わんかい、と。
初等教育と呼ばれる小学校での内容ですら、なぜそれを学ぶ必要があるのか、というゴールを示せないことは多い。
算数だけじゃないですよ。
国語に関して、大人になって本を一切読まない人はみんな生活に困っていますか?
社会に関して、江戸時代を知らなくて困ることは?
理科に関して、過酸化水素水って大人になって知らなくて困ります?
実際に、小学校のテストを大人が受けて、80点以上を取れる人はどのくらいいるのでしょう?
でも、そのほとんどの人は、立派に大人として生活しています。
先にゴールを示すことによって学習意欲を高めよう、と思っても、実際にゴールをうまく示せないことが多いのが現実です。
ゴールを示せないのならば、教育不要、となったら、現代の初等教育の多くが切り捨てられることになりますが、それで良いのでしょうか。
◆
初等教育において私が改善してほしいと思う点は、2つあります。
1つ目は、面白さを追求してほしいこと。
歴史上の偉人を社会で習っても、それを面白いと思える子は少ない。
一方、鬼滅の刃のキャラクター名は、びっくりするほど記憶しています。
その差は、面白さです。
勉強や学習は、なぜか机の上で紙に書いてやらなくてはいけない、という固定概念があるのではないでしょうか?
教員には失礼ですが、教え方一つとったってYou Tubeの方が面白さ、内容共に圧倒しているものもいっぱいあります。
とにかく丸暗記させたい、となったときに、テストを受けさせて、その点数を自覚させ、焦燥感を煽る、といったやり方では、こぼれ落ちる子が多く出るのは目に見えています。
2つ目は、多くの人に役立つことを優先してほしいということ。
役に立つかどうか、という基準で教える内容を決めるといったって、この国だけでも1億人以上が生活しているわけですから、全ての人に役立つことなんてないし、逆に全ての人に役立たないことだってありません。
上に書いたひっ算や江戸時代だって、ある人達にとってはとても重要な知識です。
だから、できるだけ幅広い人に役に立ちそうなことを優先してほしいと思うのです。
毛筆を使った習字とパソコンのコピペ、どっちのほうが役に立てる人が多そうですか?
あくまで優先であって、習字なんて必要ない、と言っているではありません。
ただ、学校で教える時間は有限なので、優先順位を決める必要があります。
その順位の基準を、できるだけ幅広く使えるかどうか、にしてほしいと思うのです。
具体的に優先順位をあげてほしいと思っているのは、パソコン、スマホ関係とお金のことです。
前者は徐々に導入されつつありますが、後者は皆無です。
◆
初等教育で、私がもっとも大切だと思っているのは、学ぶ面白さ、大切さを身に付けさせることだと思います。
知らないことを知ることが楽しい。
できなかったことができるようになるのは嬉しい。
それを体感できるようになれば、社会に出てから勉強をすることが苦にならない、むしろ楽しくなる。
上で書いたように、全ての人に役に立つ知識なんてありません。
だから結局おとなになったら、自分の生き方、職業によって必要なことを勉強しなおす必要があるのです。
そのときに、勉強することそのものに抵抗があったら、前に進めない。
だから、勉強すること=面白くないこと、という印象を払拭してほしいと思うのです。