日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

リスク、知性、死んだほうがいい

「死んだほうがいい」ユーミン批判の大学講師 〝荒井由実時代は好きでした〟で炎上拡大! | 東スポのニュースに関するニュースを掲載

 

この記事のもとになっている大学講師のFB投稿は、炎上する前でした。

その時は、なにかの間違いだろう、と思ったくらいです。

 

肩書は大学講師。

死んだほうがいい。

 

街角の飲み屋でこういうことを言っている人は昔からいます。

ただ、今はネット拡散のリスクがそこらじゅうにあるので、街角の飲み屋ですらこういうことを言うのはリスキーです。

 

ましてや大学講師という立場であり、しかも自ら公の場=FBに投稿したとなると、まったくもって理解できません。

 

投稿するのには、口にするのに比べちょっとした時間がかかります。

口がすべっちゃった、はよくあることですが、「勢いでFBに書いちゃった」は考えにくい。勢いの時間が長すぎです・・・

 

謝罪と同時に「知性」というワードを使っていますが、人の知性の高低なんてそう簡単に判断できないでしょう?

 

大学講師をされているくらいだから、この方の言う知性も、もしかしたら平均値より、もしかして松任谷由実さんよりも高いのかもしれません。

そこは計りようがありません。

 

私は、いろんな考え方の人がいて良いと思うし、それは健全なことだと思います。

 

安倍首相が好きな人、嫌いな人、松任谷由実さんが好きな人、嫌いな人。

色々いて良いと思います。

 

ただ、死んだほうがいい人はいません。

 

犯罪を犯した人に対してだって、死んだほうがいい(死刑)、というのは議論の余地があるのです。

事実、世界各国では死刑廃止の国も少なくありません。

 

安倍首相も松任谷由実さんも、当たり前ですが犯罪を犯したわけではありません。

この方と考え方が違うだけです。

 

 

それで死んでいいはずないでしょう。

 

この件で感じたことを箇条書きにまとめると

  • 公の場所に投稿するということのリスクをわかっているのか
  • 他人の知性を判断できるのか
  • 死んでいい人はいるのか

というところです。

 

権力は放ったらかしにすると腐敗します。

それは歴史が証明しています。

だから、批判はつねにあるべきです。

たとえそれが重箱の隅をつつくような批判でも、あって良いと思います。

 

ただ、批判内容が「死んでいい」だったら、その時点でそれは批判でなく、単なる中傷です。建設的とは程遠い。

 

「私は、安倍首相の会見を見ても全く涙が出ず、むしろこれまでの政策を振り返って怒りを覚えました」

 

といった内容だったら、問題なかったと思うんですけどね。

 

炎上中で私個人的にもこの方のこういう投稿、考え方はいかがなものか、と思います。

しかしそれでも、この方が死んだほうがいい、なんて思えないし言えないし書けません。

 

自分が不快になるほど考え方が違う人間が近くにいたら、距離をとったり関係を遮断したりすればよいだけです。